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京都地方裁判所 平成3年(ワ)1499号 判決 1997年5月29日

原告

田原貞夫

田原裕子

右原告ら訴訟代理人弁護士

村井豊明

佐藤健宗

岩橋多恵

荒川英幸

藤浦龍治

被告

濱中信孝

医療法人回生会

右代表者理事長

出射靖生

右被告ら訴訟代理人弁護士

香山仙太郎

被告

日本赤十字社

右代表者社長

山本正淑

右訴訟代理人弁護士

中坊公平

島田和俊

谷澤忠彦

藤本清

飯田和宏

岩城裕

日髙清司

主文

一  被告日本赤十字社は、原告両名に対し、それぞれ金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年八月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告日本赤十字社に対するその余の請求並びに被告濱中信孝及び被告医療法人回生会に対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の九分の一と被告日本赤十字社に生じた費用の三分の一を同被告の負担とし、原告ら及び同被告に生じたその余の費用並びに被告濱中信孝及び被告医療法人回生会に生じた費用は原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告両名それぞれに対し、連帯して、六六二二万〇三四八円及びこれに対する昭和五六年八月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

(以下、年月日については、昭和五六年の出来事については、月日のみを示し、同年八月については日のみを示す)

一  事案の要旨

本件は、原告らの長女である亡田原尚美(以下「尚美」という)が、一六日に頭痛を訴え、その後被告濱中信孝(以下「被告濱中」という)が開設する浜中医院で数日間診察を受けた後、被告濱中の紹介で被告医療法人回生会(以下「被告回生会」という)が開設する京都回生病院(以下「回生病院」という)に入院したが、症状の悪化から、さらに数日後、被告日本赤十字社(以下「被告日赤」という)が開設する京都第二赤十字病院(以下「第二日赤」という)へ転院し、三〇日に第二日赤において、脳血腫の除去手術を受けたものの、術後も頭蓋内圧が亢進し、植物状態となった後約八年余りして死亡するに至ったとして、尚美の相続人である原告らが、被告濱中に対しては、尚美の症状から皮質下出血を疑い、CT等の設備が整った病院に転院させる義務を怠ったこと、被告回生会に対しては、尚美の症状から皮質下出血を疑い、必要な検査と治療をすべきであるのにこれを怠ったこと、被告日赤に対しては、尚美に対し、適切な時期に手術をすべきであるのにこれを怠ったことなどの各注意義務違反を理由に、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づき、損害賠償を請求する事案である。

二  基礎的事実

当事者間に争いのない事実及び文中掲記の各証拠によれば、本件の基礎となる尚美の治療経過等の事実は以下のとおりである(なお、供述については、証人久保哲の第九回口頭弁論期日における証言の一丁表を「久保⑨一丁表」のように示す。

1  当事者

尚美は、原告ら夫婦の長女であり、昭和三四年七月一日に生まれ、昭和五四年三月に平安女学院短期大学を卒業し、同年四月に中央信託銀行に就職し、本件手術当時は同銀行の京都支店に勤務しており、二二歳であった。

尚美は、昭和五六年夏のお盆休みを利用して、友人四人とともに信州へ旅行していたが、旅行から帰った後、一六日(日)ころから頭痛を訴えるようになった(甲一〇七)。

2  浜中病院における診療経過

尚美は、一七日から出勤していたが、頭痛が直らないため、一八日の退社後になって、かかりつけの浜中病院で診察を受けた(この点、原告らは、浜中病院の初診が一七日であると主張するが、乙一の2及び乙二によれば、一八日と認められる)。

浜中病院での診療状況は、保存期間の経過によりカルテが廃棄されているため判然としないところがあるが、浜中病院の受診ノート(乙一の2)、被告濱中が二二日に尚美を回生病院に紹介した紹介状(乙二)、回生病院の病歴(乙三―一頁)、第二日赤の看護記録(丙二―一四一頁)、原告田原裕子(以下「原告裕子」という)の記憶(甲一〇七、原告裕子本人)及び被告濱中の供述を総合すれば、以下のような経過が認められる。

(一) 一八日(火曜日)

尚美は、一八日には、頭痛を訴えるだけで、被告濱中の問診に対して、頭部の打撲や、むかつき、嘔吐、手足のしびれ感は訴えなかったので、被告濱中は、特に異常は認めず、鎮痛剤を投与しただけであった(濱中三丁裏〜四丁表)。

(二) 二〇日(木曜日)

尚美は、一九日、二〇日と出勤したが、二〇日には、会社等で四回嘔吐し、嘔気、頭痛が激しく、倒れる程で、会社を早退し、被告濱中の診察を受けた。被告濱中は、尚美が頭痛と咽頭痛を訴えていたので、抗生物質と消炎剤を投与した(濱中四丁表〜五丁表、一三丁表)。

(三) 二一日(金曜日)

被告濱中は、二一日に原告らから、尚美が嘔吐し、食事がとれないとの連絡を受けたので、昼過ぎころ原告ら方に往診に訪れ、尚美に対し、五〇〇ccのブドウ糖にビタミン剤を混入した点滴をした(濱中五丁裏)。

(四) 二二日(土曜日)

被告濱中は、二二日午前七時半ころ、原告らから、むかつきが治まらず、食事がとれないとの連絡を受けたので往診し、尚美に対し点滴をしたが、その後午前八時すぎに再び連絡を受けて原告ら方を訪れると、丁度尚美が便所から出てきたところで、尚美は足を引きずるように歩いており、黄色い液状の嘔吐物を出していることやトイレに行ってもふらついて倒れ込んでしまうなどの訴えを聞いたため、尚美の頭痛が単なる頭痛ではなく、脳脊髄炎ではないかとの疑いを持った(濱中六丁裏〜七丁表、一八丁表〜二〇丁裏)。

そこで、被告濱中は、自分の先輩である竹下吉樹医師(以下「竹下医師」という)のいる回生病院で診断を受けさせるべく、原告裕子に回生病院で診療を受けるよう指示し、以上のような経過を記載した竹下医師宛の紹介状を交付した。原告裕子は、同日、車で尚美を回生病院に連れて行き、外来で診察を受けた後、午前一一時四〇分に車椅子での護送入院となった(乙三―二四、二五頁)。

3  回生病院における診療経過

回生病院の病歴誌(乙三)、竹下医師の陳述書(乙四)、同医師の証言によれば、以下のような診療経過であったことが認められる。

(一) 二二日(土曜日)

回生病院における尚美の担当は、竹下医師(副院長)であったが、初診時、尚美は、竹下医師に対し、頭部の激痛、嘔気、嘔吐を訴えていた。

竹下医師の初診時の診断によれば、下腹部に軽度の圧痛と項に軽度の痛みがあるが、膝蓋腱反射は正常(乙三―二頁)、体温36.5度、血圧一一六/七二(乙三―二四頁)、意識は明瞭で言語障害もなく、知覚・運動障害もなく、左右瞳孔同大で対光反射正常、項部硬直はなく、ケルニッヒ徴候(髄膜刺激症状)も陰性と認められた(乙四、竹下三丁表)。

この時点で竹下医師は、髄膜炎、脳炎、くも膜下出血、脳出血などの炎症性及び出血性の頭蓋内病変並びに脳腫瘍の可能性があると推定し、診断のため、まず、腰椎穿刺による髄液検査を行った(乙四、竹下三丁裏〜四丁表)。

髄液検査の結果は、初圧が一七〇水柱mm、七ml排液し、終圧が七五水柱mm(正常範囲=五〇〜一八〇水柱mm)で、外観は水様透明で、血性ではなく、キサントクロミー(黄色調)もなく、両側クェッケンシュテット現象(頸部の頸静脈を押さえて髄液圧の上昇を見る検査)も陰性であった(乙三―三頁、竹下四丁裏〜五丁裏)。

右の結果、竹下医師は、尚美の頭痛等の症状の原因として、非定型的な無菌性髄膜炎や髄膜症及び髄液にほとんど変化を来さない脳実質内の小出血などは除外できないものの、典型的な化膿性髄膜炎、脳炎、くも膜下出血、脳出血は一応除外できると考えた。そこで、竹下医師は、同日、至急で依頼した右穿刺液の検査及び白血球の検査に加え二四日(月曜日)以降に一般の血液検査等を依頼することにし、それらの結果と病状の変化を観察することにした(乙四)。

なお、当日の看護記録によれば、腰椎穿刺中に尚美は胃液用のものを少量嘔吐したが、その後午後二時の検温時には、36.9度、頭痛、嘔気、嘔吐、ふらつきがなくなり、オレンジ一個を摂取し、幾分活気を取り戻し、午後七時三〇分の検温では、37.3度、頭痛、嘔気、嘔吐、下肢しびれ感疼痛はいずれもなく、夕食として重湯を三分の一とジュースを九分摂取し、午後九時の消灯時に家人に付き添われて歩行でトイレに行ったがふらつきや眩暈はなかったことが認められる(乙三―二五頁)。

(二) 二三日(日曜日)

二三日は医師の回診はなかったが、看護記録(乙三―二五・二六頁)によれば、当日の尚美の症状等は、以下のとおりである。

《午前八時》

血圧一二〇/七〇、体温36.8度。起床時より頭痛(〓)、割れるような感じ(+)。嘔気(−)。夜間良眠。尿意訴え便器挿入。下肢のしびれ感等特に訴えなし。

《午後七時三〇分》

体温36.9度、臥床時は頭痛はないが、体動時に頭痛及び回転性の眩暈を訴える。夕食は八割摂取したが、活気はない。

《午後八時三〇分》

血圧一二〇/七〇。排便後、全身脱力感、嘔気、嘔吐あり。顔色及び口唇色不良。

《午後九時》

顔色及び口唇色普通。右症状消失。

(三) 二四日(月曜日)

二四日の医師の診察によれば、自覚的に頭痛は今までどおりであるが、他覚的には異常がなく、嘔気、嘔吐も消失していた(乙三―三、四頁)。そのため、竹下医師は、尚美の症状が軽快してきていると考え、この日は第二日赤から非常勤で来ている脳神経外科部長の久保哲医師(以下「久保医師」という)が来院する予定であったが、診察してもらう必要はないと考えた(竹下三〇丁表、三五丁裏)。

看護記録(乙三―二六頁)によれば、当日の尚美の症状等は、以下のとおりである。

《午前七時三〇分》

体動時に頭痛および眩暈があるが、嘔気消失し、米飯を希望した。活気はない。

《午後二時》

血圧一一〇/七〇、体温37.0度。座位での頭痛、回転性眩暈があるが、嘔気、嘔吐はなく、昼食九分摂取。歩行できず、ベッド上で排泄。活気見られず。

《午後七時三〇分》

血圧一二〇/七〇、体温36.9度。頭痛は、安静時にはなく、体動時のみある。嘔気なし。夕食八分摂取。顔色口唇色共に良。活気(−)。

《午後九時》

車イスでトイレに行き回転性の眩暈あるも、頭痛はない。

《午後一一時》

ナースコールあり、頭痛(〓)の訴えあり、セデス一包投薬する。眩暈、嘔気はない。

(四) 二五日(火曜日)

二五日の医師の診察によれば、尚美は、自覚的には、頭痛があり、起きるとふらつくと訴えているが、嘔気はなく、他覚的には、項部硬直は見られなかった(乙三―四頁)。

看護記録(乙三―二六、二七頁)によると、当日の尚美の症状等は、以下のとおりである。

《午前七時三〇分》

血圧一〇六/六〇。前夜、薬服用後頭痛消失し、夜間良眠。嘔気、眩暈はない。

《午後二時》

体温37.0度。起座時眩暈あり。食事がんばって食べている。

《午後七時三〇分》

体温36.9度。頭痛(±)。気分不良なし。

《午後九時》

体温36.2度。頭痛(+)、眩暈(+)、嘔気(−)

《午後一〇時》

ナースコールで頭痛を訴え、気分不良。セデス服用。

(五) 二六日(水曜日)

二六日の竹下医師の診察によれば、再度、嘔気、嘔吐が出現し、微熱が続いているほか、早朝に尿失禁し、自制しがたい頭痛がみられることなどから、竹下医師は、更に詳細な検索の必要を考えて、同日、改めて、血液検査、尿検査(ただし、尿検査はメンスのため依頼できず)、生化学検査、血清検査を指示した(乙三―四頁、乙四)。

なお、二二日に依頼した穿刺液検査結果等は、二四日ころから返ってき始めたが、穿刺液検査結果では、細菌検鏡及び一般細菌培養の結果(二五日回答)はいずれも陰性であり(乙三―一一頁)、髄液細胞数(六/三/mm3)、蛋白(一九mg/ml)、糖(四七mg/ml)も異常はなく(乙三―九頁⑥)、白血球数(五九〇〇〜乙三―九頁③)にも異常が認められなかった(竹下六丁表)が、竹下医師は、尚美の症状の悪化から、これまでの検査結果や症状の経過から判明しない隠れた脳の疾患があるのかと考え、再度の腰椎穿刺、脳の血管造影、CTなど脳に絞り込んだ検査が必要であり、脳外科医の診断も考えなければならないと推測した。しかし、竹下医師は、同日にはいずれの検査も実施はせず、翌日第二日赤の脳外科の医師が来院予定であったことから、同日中に第二日赤に転院させるなどの処置はとらなかった(竹下二四丁表、三三丁表)。

看護記録(乙三―二七、二八頁)によれば、同日の尚美の症状等は、以下のとおりである。

《午前五時二〇分》

ナースコールあり、午前三時ころ尿失禁したという。寝衣交換。

《午前七時》

ナースコールあり、頭痛がひどくがまんできないと訴える。セデス投与し、様子をみる。血圧一二〇/九〇、体温36.1度。全身倦怠感(+)、眩暈(+)。

《午前九時》

血圧一二二/八二、体温36.6度。嘔吐(+)食物残滓物中等量。頭痛あるが自制内。眩暈消失。全身倦怠感(+)。

《午後二時》

血圧一二〇/七〇、体温37.0度。嘔気、頭痛、眩暈なし。

《午後七時三〇分》

血圧一一〇/七六、体温37.1度。無欲状態であり、体動時の頭痛のみというが、活気全くなし。

《午後一〇時》

ナースコールし、頭痛自制不可、バッファリン投与し、様子をみる。嘔気(−)。

(六) 二七日(木曜日)

二七日は竹下医師の休日(研修日)であり、杉原医師が尚美を診察し、嗜眠状態と判断した。当日、原告田原貞夫が来院し、症状の説明を求められた杉原医師は、脳外科医の診断を受け、脳波検査等をして結論を出すと説明した。そして、当日は第二日赤の脳神経外科副部長の武美寛治医師(以下「武美医師」という)の来院日であったので、武美医師に尚美の診察を依頼した。

武美医師は、看護婦詰所で回生病院の尚美の病歴誌(乙三)や検査記録を見たり、看護婦から症状の説明を受け、頭痛、嘔気、嘔吐があることを認識したうえで、午後五時ころ尚美を診察した。その結果、尚美は、会話は可能であり、意識は清明であるが、苦痛に耐えている状態で、無欲的であり、発語に問題はなく、また言語の了解も良好であったものの、右不全片麻痺が認められ、容易に嘔吐する状態であった。右のような症状から、武美医師は、左前頭部脳腫瘍を疑い、脳圧降下剤フルクトマニト及び脳浮腫改善剤(副腎皮質ホルモン)ハイドロコートンを点滴し、至急にCT検査をする必要を認めた。しかし、当日は主治医である竹下医師が不在であったため、原告らに翌日第二日赤に転院しCTをするように勧めたが、原告らから早期の転院を希望されたため、竹下医師に連絡をとり、転院の了解を受け、回生病院の救急車で第二日赤に向かい、午後五時四〇分、第二日赤の救急救命センターに到着し、同院に入院することになった(甲一〇七―七、八頁、乙三―四頁、武美四丁表〜一四丁表、二二丁裏〜二四丁裏、竹下一一丁裏)。

看護記録(乙三―二八頁Vによれば、同日の尚美の症状等は、以下のとおりである。

《午前〇時》

ナースコールし、嘔気あり、気分不良。プラミール投与し、様子を見る。

《午前七時》

ナースコール、頭痛自制不可、バッファリン投与。無表情、活気なし。血圧一一〇/六四。

《午後〇時四〇分》

ナースコール、嘔気(+)、嘔吐(+)食物残澤物中等量、頭痛(−)。

《午後一時一五分》

ナースコール、前頭部痛(+)も自制内。嘔気、嘔吐(−)。血圧一三六/七四、体温36.7度。

《午後二時》

体温36.7度。頭痛、全身倦怠・脱力(+)、嘔気、嘔吐、活気(−)

4  第二日赤における診療経過

第二日赤の入院病歴誌(丙二)、証人久保及び同武美の各証言によれば、第二日赤における尚美の診療経過は、以下のとおりであり。なお、第二日赤脳神経外科には、当時、久保医師(部長)、武美医師(副部長)のほか太田努医師(以下「太田医師」という)、伊林医師及び池田医師(非常勤)がおり、尚美の主治医は当初太田医師、途中から武美医師に交替しているが、同科では、全医師が全入院患者を診察するチーム医療を行っていた(武美一五丁裏〜一六丁表、久保⑩二三頁)。

(一) 二七日(木曜日)

第二日赤に入院した尚美は、当直の久保医師の診察を受けた。診察の結果、精神機能面は、無欲性ではあるが、質問に正確に答え、協調的(指示に従えることを意味する)であるなど、意識は清明であり、脳神経関係では、視野欠損、眼底うっ血乳頭、眼球運動制限はいずれもなく、瞳孔同大、対光反射は迅速で、動眼神経(眼球運動、対光、瞳孔の大きさを支配する神経)に異常はないと認められたものの、顔面も含め軽い右半身不全麻痺があると認められた(丙二―六頁〜九頁、久保⑨四丁裏〜一〇丁裏)。右のような各所見に加え、脳血管障害は突然に発症するものが多いのに対し、脳腫瘍は徐々に増悪していくのが一般的であるところ、尚美の症状経過が亜急性であることや尚美が若年であることなどを総合的に評価し、久保医師は、左前頭葉に脳腫瘍など何らかの占拠性病変があると考えた(丙二―九頁、久保⑨一〇丁裏〜一二丁表)。

そこで、久保医師は、尚美に対し、占拠性病変の判定をするためCT検査を施行したが、その結果、左前頭葉に低吸収域(水分の多い脳室系や脳浮腫を示す)があり、その中に高吸収域(血腫、石灰化、骨等を示す)が認められ、また、左から右への正中線の偏位(頭蓋内で正中に位置しているものが右の方へ偏位していること)があり、さらに脳脊髄液が貯留している脳室が、ほとんど描出されなかった。久保医師は、右低吸収域が占拠性病変の境界を示し、その中にある高吸収域は血腫であり、頭蓋内圧が高いために、正中線が右に偏位し、脳室の脳脊髄液が圧出されていると考えた。そして、高吸収域の出血の原因については、尚美が若年であり、高血圧所見もないことから、大脳鎌辺りに付着した髄膜腫の可能性があると判断した(丙二―六八頁(1)、検丙一、二、久保⑨一二丁表〜二一丁裏)。

久保医師は、以上の所見から、尚美に対し、浮腫を除去して頭蓋内圧を降下すること、頭蓋内病変による痙攣を予防すること(抗痙攣剤「アレビアチン」一回一〇〇ミリを一日二回経口投与)及び浮腫の予防(副腎皮質ホルモン=ステロイド剤=「ハイドロコートン」、高浸透圧利尿剤は脳圧降下剤=脱水剤=「グリセオール」「フルクトマニ」等の投与〜二七日は回生病院で武美医師が投与、第二日赤では二八日から)という観点で治療をしつつ、一般検査のほか脳血管撮影によって占拠性病変の原因を調べたうえで、これを除去する手術を実施することとし、手術の時期としては、第二日赤の定期の手術日が火曜日であることから、九月一日に実施することにした(久保⑨二二丁裏〜二五丁裏、久保⑩一丁表〜五丁裏、八丁表〜九丁裏)。

(二) 二八日(金曜日)

尚美は、自制しがたいレベルや自制可能な軽度の頭痛を訴え、尿失禁や尿漏れが何度かみられたり、夕方から三度胆汁様のものを少量嘔吐し、右下肢屈曲位を十分保てないなど顔面も含む右半身不全麻痺の症状を示し、呼びかけに応答してもぼんやりしていたり、応答せず疼痛刺激で開眼するような意識状況であったが、瞳孔は左右同大で、対光反射もあり、追視もスムーズであり、動眼神経異常もなく、全体として前日とほとんど変わらない状態であった(丙二―一〇頁、一五四頁、久保⑩二三丁裏〜二四丁裏)。右のような症状に対し、頭痛や嘔吐に対処する薬剤が投与されたほか、抗痙攣剤アレビアチンの経口投与、グリセオール(高浸透圧利尿剤)およびハイドロコートン(副腎皮質ホルモン)の投与が施行された(丙二―八六頁、一五四頁、久保⑩五丁表〜裏)。

武美医師は、尚美に対し、脳実質へ行く血管と脳実質へ行かない血管に分けて脳血管撮影(CAG)を施行した。その結果、脳実質へ行く血管には異常血管も腫瘤陰影も認められなかったが、右側及び後下方に圧排された状態で、正常の走行を外れていることが認められた。また脳実質へ行かない血管(=髄膜に行く血管)は正常であった(丙二―六九〜七一頁、武美三二丁表〜三三丁裏、久保⑨二一丁裏)。右の検査所見から、この時点で、尚美の疾患が髄膜腫であるとの可能性は否定されたが、久保医師は次に神経膠腫を疑った(丙二―一四二頁の二八日の具体策欄、久保⑨二一丁裏、久保⑩二二丁表〜二三丁表裏)。

(三) 二九日(土曜日)

《午前中》

朝の回診時には、尚美は、医師の問いに対し、閉眼のまま応答し、小声ではあるが正確に応答し、意識レベルは保たれていた。また、瞳孔同大、対光反射正常で、眼球運動にも特に異常はなく、顔面を含む右片麻痺はあるが、前日までの状態と著変はなかった(丙二―一一頁、久保⑪二丁表〜裏)。

《午後四時》

ところが、午後四時になって、原告裕子からナースコールで、尚美がふるえているとの訴えがあり、看護婦が駆けつけたところ、尚美は、両上肢を屈曲、下肢を過伸展して痙攣(いわゆる除皮質姿勢)を起こしていたが、数秒で治まった。数分後に当直医であった太田医師が訪床したときには痙攣は消失していたが、朝に比べて明らかな意識レベルの低下が認められ、太田医師は、点滴輸液路の確保をし、抗痙攣剤の投与(静脈注射)をした。その数分後から尚美の呼吸状態は悪化し、左眼の方が大きくなる瞳孔不同が出現し、刺激に対し、両上肢を伸展するいわゆる除脳姿勢をとり、脳幹(鈎回)に圧迫が加わったことが認められた(丙二―一二頁、一五五頁、久保⑪三丁表〜六丁表、久保⑫一四丁表〜裏)。そのため、脳圧降下剤フルクトマニト及びステロイドのデカドロンを投与した(丙二―八六頁、久保⑪七丁表)。

《午後四時二〇分/四五分》

その結果、午後四時二〇分にまず瞳孔不同が消失したが、両上肢の除脳姿勢は続いており、太田医師は、腫瘍内出血を惹起するなど頭蓋内腔に何らかのアクシデントが起こったと考え、緊急CTの準備を指示した。午後四時四五分には、フルクトマニト五〇〇mlの点滴が完了し、痛み刺激に対し、痛いと発語しながら左上肢で払いのけ、刺激を加重するとわずかに開眼し、瞳孔同大で、対光反射も迅速になるなど意識状態の回復が見られた(丙二―一二〜三頁、久保⑪八丁表、一一丁表〜裏)。

《午後五時》

午後五時ころから、尚美に対し、CT検査が施行された。その結果、新たな出血等の所見を含め、占拠性効果の増大等は認められなかったものの、著明な正中線偏位や左前頭葉の高吸収域があり、左側脳室や脳底槽は描出されず、CT所見上は二七日のCTとほとんど変わらなかったが、痙攣前に比べ明らかに右半身麻痺は増悪し、左動眼神経麻痺の名残が残存し、左眼瞼下垂、安静時左眼球外転位が認められており、浮腫の増強による頭蓋内圧の亢進が脳幹の髄液を圧排していると推定され、脳ヘルニアを惹起する危険な状態にあった(丙二―一三頁、六八頁(3)、久保⑪一〇丁裏〜一一丁表、一二丁表〜一五丁裏、久保⑫一四丁裏〜一五丁裏)。

《午後七時》

その後も太田医師は、尚美に対し、脳浮腫除去剤を投与したところ、午後七時には、喉の乾きを訴え、水を欲しがり、「ここはどこか」という問いにも答えられ(ただし、第二日赤を回生病院であると答えている)、生年月日も正しく答えられるようになり、意識状態がやや改善したことが認められたが、顔を含む右半身不全麻痺は増悪(指示に応じて上肢を前胸部までもっていき、下肢を膝部で緩徐に屈曲保持できる程度)していた(丙二―一四頁)。

《午後七時一五分》

尚美は、午後七時一五分にも両上肢を屈曲位にして十数秒の痙攣発作を起こしたが、瞳孔は同大で、両側対光反射も正常であった(丙二―一五頁)。

《午後八時一五分》

さらに尚美は午後八時一〇分ころにも痙攣発作を起こしたが、短時間で消失している(丙二―一五七頁、久保⑪一七丁裏)。

《午後一〇時三〇分》

午後一〇時三〇分、太田医師の回診で「ここはどこか」との問いに対し、小声ながら「日赤」との返答ができ、瞳孔同大で、対光反射も迅速になったが、右半身不全麻痺は一段と増悪している。尚美の意識レベル(三―三―九度方式)は、朝の時点から三から一〇で推移していたが、午後九時三〇分以降は二〇から三〇まで増悪した。この時点で、太田医師は、痙攣、酸素不足、脳腫脹の悪循環に陥っていると判断し、①抗痙攣剤により早く血中濃度を高め、②ステロイド剤を増量し、③脱水剤(二〇〇×五/日)を投与し、④酸素吸入(三㍑/日〜午後四時ころから吸入〜丙二―一五五頁)を行い、保存的に右の悪循環に対処しようと考えた(丙二―一五〜一六頁、、一五七頁、久保⑪一八丁表〜裏)。

《午後一一時二〇分》

そして、尚美は、午後一一時二〇分ころにも、短い持続ではあるが再び痙攣発作を起こし、瞳孔不同が出現し、対光反射も消失し、痛みに対し除脳姿勢が出現した。そして、意識レベルは二〇〇になった(丙二―一六頁、一五七頁、久保⑪一八丁裏〜一九丁表、久保⑫一七丁裏〜一八丁表、丙二―一六頁、)。

この時点で、太田医師は、久保医師と連絡を取り、同日午後四時から一一時二〇分までの痙攣を繰り返すという経過からすると、尚美に対する手術を予定よりも早めた方がよいが、脳圧降下剤を投与すると徐々に回復していること及び手術の準備の関係からして、まずは薬物投与をして頭蓋内圧亢進の原因である浮腫を除去し、手術は翌三〇日朝に実施することとした(久保⑪二〇丁表〜二一丁裏、久保⑫一六丁裏〜一八丁表)。そこで、太田医師は、原告らに対し、尚美の現在の症状を左前頭葉の脳腫瘍であると説明し、開頭の上で腫瘍摘出の手術をするについて、承諾を得た(丙二―七九頁)。

(四) 三〇日(日曜日)

《午前〇時》

午前〇時には、発語は認められないものの、瞳孔不同は消失し、対光反射も迅速に見られ、また疼痛刺激に対しわずかに開眼し、左上肢ですばやく払いのけるなど意識状態の改善が見られた。このころの意識レベルは一〇〇である(丙二―一七頁、一五七頁、久保⑪一九丁裏)。

《午前一時四〇分》

明らかな痙攣状態は認められなかったが、瞳孔不同が出現し、対光反射もなくなり、疼痛刺激に対し除脳姿勢をとり、意識レベルも二〇〇まで悪化した(丙二の一七頁、一五七頁)。

《午前二時一〇分》

瞳孔同大になり、対光反射もみられるようになるが、動きはまだ除脳姿勢で、意識レベルも二〇〇であった(丙二―一八頁、一五七頁)。

《午前四時》

瞳孔散大ぎみで、対光反射も睫毛反射も消失する。意識レベル二〇〇で変化はない(丙二―一五七―1頁)。

《午前五時》

瞳孔不同で、対光反射消失(丙二―一五七―1頁)。

《午前六時》

疼痛刺激で両上肢回内する。意識レベル二〇〇で変化はない(丙二―一五七―1頁)。

《午前七時》

瞳孔同大になるが、対光反射はない(丙二―一五七―1頁)。

《午前八時》

縮瞳あり。瞳孔同大で対光反射も認められたが、痛みに除脳姿勢をとる(丙二―一八頁)。

《午前八時三〇分》

午前八時三〇分ころから痳酔を始め、久保医師(介者=太田医師・伊林医師)の執刀で午前九時一三分から左前頭骨形成的開頭及び左前頭葉内血腫除去手術が開始された。手術は、イソジンで手術部位を消毒後、仰臥位にて冠状縫合の前方槽指のところに冠状皮膚切開をして頭皮を左前方に翻転し、三か所に穿頭をして六センチメートル×八センチメートルの左前頭開頭を行った。そして、骨弁を左方に翻転して硬膜を露出させ、硬膜を正中側に翻転するように切開して脳を露出させ、上前頭回を穿刺すると暗赤色の血腫が流出したので液化した血腫を吸引し、さらに袋のようになった血腫を摘出したところ、摘出後の壁はきれいであり、壁の止血により出血は容易にコントロールされ、脳は縮小し、皮膜下に腔ができたので、閉頭することにし、硬膜を縫合し硬膜外にドレーンを挿入し、骨弁を六か所六号絹糸で固定し、骨膜、帽状腱膜、皮膚の順序で閉頭し、午前一一時二〇分(執刀開始後二時間七分)終了した(丙二―六二〜六六頁、久保⑩一〇丁表〜一一丁裏)。

なお、手術の結果摘出した血腫を病理検査に回したところ、九月八日、腫瘍は認められず血管奇形を思わせるとの病理診断がなされている(丙二―八〇頁M、久保⑪二四丁裏〜二五丁表)。

《午後〇時以後》

手術後、瞳孔同大になるが、対光反射はなく、痛み刺激に対し除脳姿勢をとる。意識レベル二〇〇。以後、同日中ほぼ同様の状態で著変はない(丙二―一八〜一九頁、一五八頁)。

手術後に施行されたCT検査によれば、左前頭葉に低吸収域(脳浮腫)はあるものの高吸収域(血腫)はなくなり、左から右への正中線の偏位は強いが、脳底槽がわずかにでて、左側脳室の前角が描出されるようになった(丙二―六八頁(2)、久保⑪二七丁裏)。

(五) 三一日

術後状態と著変なし。意識レベル二〇〇(丙二―二〜頁、一五八頁)。

(六) 九月一日

基本的状態に著変はなかったが、午後七時三〇分に再び瞳孔不同が出現し、対光反射もなく、有害刺激に対する反応も明らかに低下し、フルクトマニトの点滴により、午後八時に瞳孔同大にもどった(丙二―二〇〜二一頁、久保⑪二七丁裏)

同日実施されたCT検査によれば、右への正中線偏位や左側脳室が潰れている等の脳実質への圧迫の程度や脳底槽の描出は三〇日のCT結果とほぼ同じであるが、気脳がなく、この分、空間の余裕がなくなり、左前頭葉白質を中心に広範な低吸収域が認められた(丙二―六八頁(4))。

また、同日、カロリックテストが行われたが、両側刺激側への共同偏視を認め(ただし、右側刺激時に左眼球内転不十分)、一応、脳幹は機能的には障害されていないと判断されている。

(七) 九月二日

九月一日には再び瞳孔不同が出るなど経過が良好とは言えないことから、久保医師は、このまま保存的治療(脳圧降下剤の投与)を続けていても、機能的な予後は良くならないと考えるようになった(久保⑪二七丁裏〜二八丁裏)。

そこで、九月二日、久保医師は、原告らに対し、①術後の症状の悪化としては、浮腫が原因と考えられること(CT結果を示して説明)、②九月一日に瞳孔不同が出現しているので、保存的治療の限界と思われること、③今後の治療方法としては、外減圧(骨を外す又は骨の内側の硬膜を開き、脳が直接皮下に接するようにすること)と内減圧(浮腫のある脳を除去すること)があること、④内減圧の場合は回復時に相当の機能障害を生ずる可能性があることからすると、外減圧の方がよいが、外減圧にしても救命率の程度は不明であり、また機能回復の可能性の程度も不明であることを説明し、原告らに選択を求めた(丙二―二二頁、久保⑪三七丁表〜四〇丁裏、久保⑫二〇丁裏〜二二丁裏)。

原告らは、右説明を聞いて、内減圧の場合は植物状態になる可能性が高いことから選択せず、また、外減圧にしても、救命率も機能回復程度も不明なのであれば、手術を重ねるだけ尚美の身体に負担をかけることになるので選択せず、結局、保存的治療を継続することを選択した(久保⑪四一丁表、原告一四丁裏〜一五丁表、丙二―三五頁「国立循環器病センター菊池医師への依頼書」二枚目)。

5  その後の尚美の症状

(一) 第二日赤での九月二日以後退院までの経過

第二日赤においては、原告らの選択を受け、尚美に対し保存的治療を継続し、尚美は、昭和五七年二月二五日に第二日赤を退院したが、退院までの尚美の症状は、以下のようなものであった。

九月四日のCT検査で脳質描出が九月一日よりやや悪くなり、左大脳半球に広範に低吸収域が出現し(丙二―六八頁(5))、臨床上も瞳孔不同が出て(丙二―二五頁)、一時意識レベルが三〇〇に低下(丙二―一六一頁)し、植物状態になったが、脳圧降下剤の投与等により、脳圧が降下すると共に症状が次第に落ち着き、九月一〇日のCT検査では、左大脳半球に広範に低吸収域はあるものの、脳質描出も九月四日に比べ改善し、正中線偏位も軽度になり、脳底槽描出も全般に良好になる(丙二―六八頁(6))など改善の予兆が見えるようになり、九月一一日からリハビリテーションも開始された(丙二―一四四頁)。しかし、その後も刺激に対する反応もほとんどなく、自発運動も極めてわずかしかみられない状態が続いていたが、九月二五日ころからわずかずつであれば嚥下するようになったり、痛みに顔をしかめるような反応が出てきだしている(丙二―三二頁)。一〇月七日のCT検査では、正中線偏位が消失し、脳質系も略対称的で有意の拡大はなくなったが、大きな低吸収域が左前頭葉から頭頂葉等に存在し、意識の遷延性障害に関係すると見られる間脳にも小さな低吸収域がみられ、これ以上の意識の回復は望めないだろうとの判断がなされている(丙二―六八頁(8)、一四四・一四五頁)。

その後もリハビリテーションは続けられ、意識障害の大きな改善はみられないが、座位をとれるようになり、車椅子で散歩をしたり(一二月二一日〜丙二―一四八頁)、訓練中に「イ・タ・イ」と発語するようになり(昭和五七年一月一七日〜丙二の一四九頁)、発語訓練も始められるようにはなっている。そして、昭和五七年一月下旬ころから、原告らは、リハビリテーション専門の病院への転院を希望するようになり、第二日赤が転院先を紹介し、同年二月二六日に星ヶ丘厚生年金病院に転院することになった。転院当時の尚美は、食事・排泄を含め生活全般にわたって全面的な介護が必要な状態ではあるが、少しは経口摂取も可能となり、倒れることもあるものの座らせると坐位を保ち、水道栓をひねったりすることも可能となり、ほとんど発語はないが、よく覚醒しているときには生年月日や家人の名前を言ったりすることもあり、左手でパジャマのボタンを外そうとしたり、ズボンを上げようとする動きをすることもあり、舌を出しなさいという指示に従うなど、ある程度の指示は理解できるような程度には回復したという状態であった(丙二―五六頁「星ヶ丘厚生年金病院宛の依頼書」、丙二―五七〜五八頁、二二三〜二四〇頁、久保⑪四一丁裏〜四二丁表)。

(二) 第二日赤退院後の尚美の症状及び入通院経過

甲二、甲三、甲七ないし五七、甲一〇〇ないし一〇三、甲一〇五、甲一三九によれば、第二日赤退院後の尚美の症状及び入通院経過は次のとおりであると認められる。

(1) 星ヶ丘厚生年金病院(入院・通院)

昭和五七年二月二六日から同五九年四月二九日まで、リハビリテーション目的で入院した。入院中、尚美は、言語訓練、座位訓練、手足の運動訓練、佇立訓練、食事訓練と薬物治療を受けたが、尚美の意識状態は傾眠及び無関心であり、運動能力は無動無言症、すなわち食物嚥下は可能であるが、発語は不能、右上下肢のほぼ完全痳痺及び左上下肢の重度の不全痳痺があり、寝たきりの状態であり、生活は全面介助を要するものであった。なお、昭和六〇年六月八日から再度通院している(甲二)。

(2) 京都市身体障害者リハビリテーションセンター(通院)

昭和五九年六月一五日から同六二年七月二二日まで(診療実日数は四一日)、リハビリテーションの目的で通院し、座位訓練、手足の運動訓練等を受け、痙攣止めの投薬を受けたが、尚美は、全くしゃべれず、一人で座ることもできなかった(甲七)。

(3) 京都大学胸部疾患研究所(通院)

原告らは、尚美に点滴以外に経口摂取による栄養補給をさせたいと思い食事訓練をしていたが、しばしば誤嚥を繰り返し、肺炎を起こすことがあり、昭和五九年七月二一日から平成元年一一月二八日まで(診療実日数は四一日)、誤嚥性肺炎のために通院した(甲一〇〇)。

(4) 毛利胃腸科病院(入院・通院)

誤嚥性肺炎の治療のため、昭和六一年六月八日から同月一六日、同年一〇月二三日から同年一一月二日、同年一二月一五日から二八日、同六二年二月一九日から同月二五日の間入院し、同年六月八日から昭和六三年一一月二〇日まで(診療実日数は八一日)通院した(甲一〇一)

(5) 聖ヨゼフ整肢園(入院・通院)

昭和六三年二月一三日から平成二年一月一〇日まで(診療実日数は六〇日)リハビリテーションと投薬のため通院し、その間の平成元年一一月一四日から同月一七日まで同目的で入院した(甲一一)。この当時も尚美は、四肢不全痳痺、無言症、症候性てんかん、視力障害のため、移動不能、座位保持困難であり、全面介助が必要であった(甲三)。

(6) よしゆき診療所(通院)

昭和六二年一〇月二六日から平成二年一月一八日まで(診療実日数は一〇八日)誤嚥性肺炎の治療のため通院(又は往診)し、点滴と投薬を受けていた(甲一二)。

(7) 浜中医院(通院)

昭和六三年一月一日から平成元年一二月三一日まで、誤嚥性肺炎の治療のため通院(又は往診)し、点滴による栄養補給と痙攣止めや便通のための投薬を受けていた(甲一三、一四)。

(8) 高田治療院(在宅治療)

昭和六三年六月から平成元年七月まで、リハビリテーション(手首・足首の屈伸訓練、寝返りの訓練、座位訓練)を目的とした在宅治療を受けていた(甲一五ないし二八)。

(9) 高柳正三(在宅治療)

昭和六二年一月から平成元年八月まで、リハビリテーション(手首・足首の屈伸訓練、寝返りの訓練、座位訓練)を目的として在宅で医療マッサージを受けた(甲二九ないし四九)。

(10) 京都大学医学部附属病院眼科

昭和六三年八月一六日から京都大学医学部附属病院眼科で外来治療と投薬を受けた(甲五〇)。

(11) ナカノ眼科

平成元年四月五日に視力検査と身体障害者の等級認定を受けるための診断を受けた。なお、視力検査の結果全盲と認定されている(甲五一、五二、一〇四)。

(12) 中村治療院(通院)

平成元年八月から同年一二月まで、関節拘縮、筋力低下、運動障害及び歩行不能のため、マッサージ治療を往診で受けた。なお、同治療院での治療については、小谷診療所の小谷康医師が尚美を診察し、意識障害を伴う弛緩性痳痺のため、関節の拘縮を来たし、他動的な関節屈伸、体幹及び四肢筋マッサージを全身的に連日施さなければ不可逆的変化を来す恐れがあるとして、尚美に対してマッサージ治療をすることを同意している(甲五三〜五七、一〇五)。

(三) 死亡の転帰

小谷康医師は、平成元年一二月二六日、尚美について、特別障害者手当認定診断書(甲一〇四)及びマッサージ施術同意書(甲一〇五)を作成しているが、尚美は、昭和五六年八月に特発性脳出血を発症し、それに続いて続発性脳梗塞(脳壊死)を来たし、それが原因で、両眼全盲、右側弛緩性痳痺(脳性)、脳幹障害、前頭葉障害、意識障害を来たし、これらが原疾患となって、弛緩性痳痺による運動障害、意識障害のため日常生活動作は不能で全面的介助を要する状態であり、嚥下障害が強度で誤飲等を繰返し、度々肺炎を起こしている状況にあると判定されている。

小谷医師は、さらに平成二年一月一〇日、二三日、二五日、二九日に尚美を診察し、特に一月二三日には蘇生会病院において、核磁気共鳴による断層撮影(MRCT)及び脳波等の検査を行ったが、断層撮影の結果は、脳室の拡大を含む広範な脳の萎縮と壊死が認められ、また脳波についても広範な障害が認められ、また、呼吸状態も非常に悪く、中枢性の呼吸障害の一種である下顎呼吸が認められるようになっていた。

そして、平成二年二月二九日、午前六時ころ、原告裕子から小谷医師のもとに電話連絡が入り、小谷医師が原告ら宅に向かい、午前六時三〇分ころ尚美を診察したところ、尚美は、呼吸停止、心停止、瞳孔反射なし、睫毛反射なしとの状態であり、死亡が確認された。尚美の死亡原因は、特発性脳出血とそれに続く脳梗塞が原疾患となって、呼吸中枢障害を来たし、心臓に虚血ないし無酸素状態が起こって急性心筋梗塞を来たした結果の急性心不全と判断されている(甲一〇六)。

三  争点

1  被告濱中の注意義務違反の有無

2  被告回生会(回生病院―竹下医師)の注意義務違反の有無

3  被告日赤(第二日赤―太田医師・武美医師・久保医師)の注意義務違反の有無

4  被告らの注意義務違反と尚美の術後経過との因果関係

5  賠償すべき損害の評価

四  争点に関する当事者の主張

1  被告濱中の注意義務違反(争点1)及び因果関係(争点4)について

(一) 原告ら

脳出血のうち、皮質下出血は脳の浅い部分に位置するため、他の脳出血と比べて、重篤な臨床症状を呈さないことが多い。初発症状は頭痛が多く、その症状経過とともに、嘔吐、片痳痺が認められるようになり、その後、痙攣、意識障害が現われ、さらに症状が悪化して脳幹症状を呈するといった経過をたどる。

しかも、皮質下出血は、他の深部脳出血より症状の進行が緩慢で、長期間にわたって症状悪化を観察することができ、手術適応の判断も正確になすことができ、手術成績も極めて良好で、適期に手術を行えば一〇〇パーセント治癒させることのできる疾患である。

本件において、尚美の初発症状は頭痛であり、その後症状が進行するに従って、嘔気、嘔吐、食欲不振、全身倦怠、歩行困難といった症状が現れているが(症状の進行も緩慢)、これは前頭葉の皮質下出血に関する典型的な臨床経過である。

したがって、たとえ浜中医院のような一般開業医であっても、右のような症状が進行しておれば、一つの鑑別診断として少なくとも頭蓋内占拠性病変を疑うべきである。

そして、京都市内では、昭和五十二、三年にはCTは普及しており、本件はそれから三、四年経過後であることからすれば、頭蓋内占拠性病変の疑いがある以上、正確な検査診断を行うためにCTを設置している脳神経外科病院へ転送する必要性があった。

しかるに、被告濱中は、尚美の臨床経過を観察しながら頭蓋内占拠性病変の疑いを持たず、正確な検査診断をするためにCTを設置している脳神経外科病院に転送すべき義務を怠った。

(二) 被告濱中

臨床現場における診療の適否を判断する場合、結果から回帰的に判断するのではなく、その当時における病状の発現と可能性から判断されるべきものである。

原告らは、尚美の症状から頭蓋内占拠性病変を疑うべきであると主張するが、尚美の年齢、発症状況、問診内容等に加えて、皮質下出血は、一般的にその可能性が極めて低いこと及び当時の医療水準からすれば、被告濱中が、頭蓋内占拠性病変を疑わなかったことに過失はなかったというべきである。

また、脳神経外科病院等への転送義務については、被告濱中は、二二日に原告方に往診に訪れた際、尚美が足を引きずるようにして歩行しているのを見て、尚美の頭痛は脳膜炎によるものではないかと考えたため、原告らに対し、回生病院を紹介したものであるが、脳膜炎は内科の領域であって、必ずしも脳神経外科のみが取り扱うものではないので、被告濱中が回生病院へ転送したのは、適切な処置というべきである。

2  被告回生会(回生病院―竹下医師)の注意義務違反(争点2)及び因果関係(争点4)について

(一) 原告ら

(1) 回生病院は、二二日に、尚美に対し腰椎穿刺による髄液検査を行っているが、脳腫瘍や脳出血などで非常に頭蓋内圧が上昇している場合、髄液排除により脳ヘルニアを助長し、意識障害などの症状を悪化させ、死亡する危険があるから、昭和五六年当時の京都市内のように、すでに数年前からCTが普及している状況の下では、まず頭部CT検査を行い、頭蓋内占拠性病変の存在を否定した後に、髄液検査(腰椎穿刺)を行うべきである。また、仮にCTが普及していない場合でも、同様の理由から、まず眼底検査を行い、眼底にうっ血乳頭など頭蓋内圧亢進症状のないことを確認してから髄液検査を行うべきであった。

しかるに、回生病院は、右義務を怠り、頭部CT検査も眼底検査も行わないで、尚美に対し髄液検査を行っており、これにより、その後の脳圧亢進を助長した可能性がある。

(2) そして、二六日早朝には、尚美は尿失禁をしており、頭痛の増強、夕方には無欲状態となっているのであるから、この時点で頭蓋内病変の進行、すなわち脳浮腫の進展あるいは脳内への再出血などが疑われ、片痳痺も発症していたのであるから、同日の時点で早急にCT検査か脳神経外科医の診察が必要であった。

しかるに、回生病院は、CT検査も脳神経外科医の診察も行わなかった。

なお、前記髄液検査の結果によれば、髄液圧は初圧で一七〇水中mmあり、軽度の脳圧亢進を疑うべきである。しかるに、回生病院は、尚美の髄液圧が正常値の範囲内であり、外観も水様透明であったので、脳圧亢進を疑う必要がないと反論するが、本件のように、脳実質内で出血した場合、くも膜下腔に出血がなければ髄液が血性髄液になることはないから、そのことのみで脳内出血を否定することはできない。

(二) 被告回生会

(1) 本件の場合、尚美の開頭手術の結果によって、ようやく皮質下出血が原因であることが判明したのであり、結果から回顧的に過失の有無を決めるのは妥当ではなく、経過にともなうその時点の臨床上の状態から医師の裁量をふまえたうえで判断すべきものである。しかして、回生病院が被告濱中から尚美の転送を受けた当時の状況においては、内科医の竹下医師としては、髄液検査を行うのが通常であって、事前にCT及び眼底検査を行わなければならないものではない。

(2) 竹下医師は、二二日に尚美に対し腰椎穿刺による髄液検査を施行しており、その結果は、初圧が一七〇水柱mm、終圧が七五水柱mmであり、正常値であったこと、髄液の外観が水様透明で浮遊物はなく、血性もキサントクロミー(黄色調)もなかったことなどからすれば、竹下医師が、尚美について、皮質下出血等の脳出血を疑わなかったことは、やむを得ないというべきである。

二六日の時点では、尿失禁が見られるなど尚美の症状に変化が窺えたところ、当日の午後になって尚美に対する諸検査の結果が判明し始め、竹下医師は、内科的に分析、総合して、診断を摸索し、以後再度の腰椎穿刺、血管撮影及びCTの施行を検討していたが、同日中にCT等を施行しなければならない緊急性があったわけではなく、同日CT等を施行しなかったことが、尚美の予後に影響を与えたとは言い難い。現に、二七日に転送された第二日赤は、同日、CT検査を実施し、その結果に基づいて、九月一日を手術日と予定していたのであり、CT検査の一日の遅れを問題とするような緊急性がなかったことは明らかである。

3  被告日赤(第二日赤―武美医師・久保医師)の注意義務違反の有無(争点3)及び因果関係(争点4)について

(一) 原告ら

(1) 救命救急センター(第三次救急病院)である第二日赤においては、日曜日でも夜間でも緊急性があれば開頭手術を行える体制をとっている。そして、尚美の臨床症状や検査結果からすれば、以下の①から④の各時点において、尚美に対し、血腫除去手術を実施すべき義務があったが、第二日赤は、いずれの時期にも該手術を実施せず、その義務を怠った。

① 二七日のCT検査後

二七日の神経学的検査では、尚美は無欲状ではあるが意識清明であり、神経脱落症状として右不全痳痺が見られ、頭部CT検査では、左前頭葉腫瘍内出血ないし皮質下出血と脳浮腫所見が認められ、正中にある大脳鎌を強く右に圧排し、左側脳室も圧迫により消失しており、右CT写真の所見からは、腫瘍内出血が第一の鑑別診断になり、亜急性期皮質下出血が第二の鑑別診断となり、術前診断としては腫瘍内出血か皮質下出血かの鑑別はできないが、髄膜腫はほぼ否定されており、この時点で開頭手術をすべきであった。

そして、この時点で直ちに開頭手術を施行しておれば、手術成績は極めて良好で一〇〇パーセント救命できることはもちろん、機能的予後も極めて良好な結果が得られた。

仮にこの時点での手術が困難であったとしても、第二日赤は、少なくとも、その後の鑑別診断の結果に対応して、直ちに手術ができるよう準備しておくべきであった。

② 二八日の頸動脈血管撮影直後

二七日の尚美の神経学検査及びCT検査結果に加え、髄膜腫か否かの確定診断は脳血管撮影によって鑑別できるところ、二八日の頸動脈血管撮影で髄膜腫は否定された。したがって、少なくとも二八日の頸動脈血管撮影直後には可及的早急に開頭手術をする義務があった。

そして、この時点で直ちに開頭手術を施行しておれば、手術成績は極めて良好で一〇〇パーセント救命できることはもちろん、機能的予後も極めて良好な結果が得られた。

③ 二九日午後四時すぎの第一回痙攣の後

二九日午後四時すぎの第一回痙攣の後に、除脳硬直が出現しているが、この時の尚美の意識レベルは二桁であり(午後四時四五分に「痛い」と反応していることからも分かる)、遅くともこの時点で緊急手術を行う義務があった。

特に、本件の場合、同日午後四時に脱水剤を用いて頭蓋内圧を降下させようとしているが、これは脳細胞組織内の水分を血管内に取り込み頭蓋内圧を降下させようとするものであり、一般的にその効果は三、四時間に過ぎないとされる。しかも、脱水剤を用いた場合、浸透圧が血液、脳組織内で平衡状態に達した後、脳組織内の浸透圧が高くなり、水分が再び脳組織内に移行し頭蓋内圧を亢進させる、いわゆる「跳ね返り」現象が起こることが知られている。

同日午後七時一五分に発症した痙攣は、この跳ね返り現象によるものと思われる。

したがって、第二日赤としては、脱水剤を用いた場合、この跳ね返り現象を予測して直ちに開頭手術を実施して血腫を除去する必要があった。

そして、この時点で開頭手術を施行しておれば、手術成績は極めて良好で一〇〇パーセント救命できることはもちろん、機能予後も比較的良好な結果が得られた。

④ 二九日午後五時のCT検査後

二九日午後五時のCT検査の結果は、頭蓋内圧がさらに亢進し、脳浮腫が進行したため左側脳室だけでなく脳低槽も描出されなくなって、脳ヘルニア切迫状態にあり、意識レベルはすでに昏睡状態に入っているので、第二日赤としては翌日まで待つことなく、直ちに開頭手術を行うべき義務があった。

そして、この時点で開頭手術を施行していれば、機能的予後は良好とはいえないが、少なくとも救命は可能であった。

(2) 一般に、開頭手術による血腫除去後に脳浮腫を起こすことが多く、脳浮腫を起こして頭蓋内圧が亢進しておれば、多少のリスクはあっても外減圧手術を行うべきである。本件においては、左前頭葉に静脈洞血栓症が認められ、これが皮質下出血の原因となっていると考えられるので、このような場合、特に若年者においては脳浮腫を起こすことは必至といえ、それに備えて外減圧を行うべきであった。

しかるに、尚美の症状は、開頭手術後の九月一日の時点でも、瞳孔不同、除脳硬直が継続しており、九月一日、同月四日のCT所見では、左大脳半球に広範な浮腫と強い圧迫所見が認められたのであるから、第二日赤としては、その時点で直ちに外減圧術を施行すべき注意義務があったにもかかわらず、右注意義務を怠った。

仮に、九月一日か遅くとも九月四日の時点で、外減圧術を施行しておれば、尚美の救命はもちろんのこと、良好な結果が得られた可能性は極めて高い。

(二) 被告日赤

(1) 手術時期について

第二日赤は、尚美の臨床症状及び諸検査の結果並びに尚美が二二歳と若年であり高血圧の既往もなかったことから、脳腫瘍(髄膜腫)による出血と診断し、開頭手術の必要性は認めていた。

そして、開頭手術が緊急に必要とされるのは、頭蓋内占拠性病変により、①脳ヘルニアを起こしたか、②脳ヘルニア切迫状態、③意識や神経障害が急激に悪化し、保存的加療での回復が困難と判断され、手術により改善が期待される場合をいう。

(イ) しかるところ、二七日の時点では、CT検査の結果、頭蓋内に占拠性病変が、認められたものの、神経学的検査において右不全痳痺と頭痛が認められたほかは格別の異常所見はなく、意識状態もさほど悪くはなく、右のいずれの場合にも該当せず、緊急を要する事態ではなかった。

そこで第二日赤は、術前検査を十分にしたうえで、定期の手術スケジュールにあわせて九月一日に開頭手術を実施することを予定したものであり、妥当な判断である。

(ロ) 二八日にも、症状に著変はなく、補液及びグリセオール(脳圧降下剤)の点滴で経過を観察していた状態であったので、右①②③のいずれにも該当せず、同日、緊急手術を行う必要はなかった。

(ハ) 二九日の午後四時に、尚美は痙攣を起こしたが、抗痙攣剤、脳圧降下剤等の投与により、同日午後四時二〇分には、瞳孔不同は消失し、意識レベルも徐々に回復しているのであり、同日午後五時ころに撮影されたCT所見では、新たな出血等の所見も含めて、占拠性病変の増大等は認められておらず、その時点においても、なお保存的治療による回復の可能性が認められたのであり、したがって、前記の手術適応の判断基準からすれば、同時点において、尚美に対し、緊急手術を施行する必要はないというべきである。

その後、同日午後一一時二〇分ころまでは、抗痙攣剤や脳圧降下剤の投与(いわゆる保存的療法)が功を奏して、意識水準のレベル等も同日午後四時の痙攣発作前の状態に回復していた。

ところが、同日午後一一時二〇分ころに、再度痙攣発作を起こし、瞳孔不同等が出現し、意識レベルも低下したことから、久保医師らは、予定されていた九月一日の手術時期まで待つべきではないと判断し、翌朝までは薬物投与による保存的療法で対応し(後述のように、保存的治療は、手術療法に劣らず、抜本的療法としても有効とされている)、三〇日朝一番(午前八時三〇分麻酔開始、同九時一三分執刀)に開頭手術を施行したものである。

右手術時点においても、尚美は未だ深昏睡には至っておらず、前記の緊急手術の基準からみても、本件手術は時期を失するものとはいえない。

なお、開頭手術は執刀医一人で行えるものではなく、看護婦の確保はもちろん、麻酔医の確保、輸血、術中病理診断等のための設備・機器等の確保その他種々の条件を整えることが必要であるところ、このことは救命救急センターのある第二日赤においても基本的に異なるところはない。そして、本件は、術前診断では脳腫瘍及びこれに伴う出血と考えられていたのであるから、単なる脳内出血に比べ難易度の高い手術が予想されていたのである。こうした場合、現場の臨床医が手術の実施期間を検討、決定するに当たり、かかる手術条件を考慮するのは当然であり、久保医師らは、保存的療法の効果も考えつつ、二九日の土曜日の夕方や深夜の時間帯の悪条件下での手術の実施を回避し、より条件の整った翌三〇日の午前八時三〇分から実施することとしたもので、妥当な判断であり、少なくとも臨床医の選択の裁量の範囲内にあることである。

(2) 手術時期と因果関係について

仮に、本件手術時点以前に手術を実施すべきであったとしても、二九日午後五時のCT検査直後と本件手術時とでは、結果回避の可能性に特段の差異は認められない。二八日の頸動脈血管撮影の直後に手術を実施した場合と比較してみても、病前の状態に復することは困難であり、本件手術時の場合と同様の可能性もあったというべきである。そして、結果と過失行為との間に因果関係が認められるためには、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することが要求され、単なる可能性では足りない。そうすると、本件においては、結果回避可能性を前提とする結果回避義務違反が存在したとはいえないし、手術時期と結果との間の因果関係も証明されているとはいえない。

なお、皮質下出血入院例の退院時転帰に関し、外科的治療群より保存的治療群の方が治療成績がいいとするデータ(鑑定資料2表5)やほとんど差がないか、神経学的重症度が4以上の患者については保存的治療の方が予後がよいことを示しているデータ(同資料4表5)もあり、また、血腫量との関係でも、尚美の血腫量と同程度の場合は、保存的治療群と差はないとする報告もある(同資料5―一九四頁)。

(3) 外減圧手術について

第二日赤は、本件手術後の頭蓋内圧亢進症状に対しては、脳圧降下剤の投与、気管切開の実施等の措置を講じていた。

もっとも、右措置を講ずるも症状は改善せず、九月二日には、右保存的治療を続けても脳浮腫を改善することは極めて困難で、このままでは死に至る可能性も高いと判断され、救命という観点からは内減圧もしくは外減圧の手術を施行する必要はあったといえる。

しかし、左前頭葉に内減圧を実施すればほぼ確実に言語機能を失うなど大脳機能の脱落症状が出る可能性が極めて高く、外減圧も内減圧に比して右の可能性が低いとはいえ、救命し得てもやはりいわゆる植物状態になる可能性が低くないことから、原告らに対し、右の旨の説明をしたところ、原告らは、植物状態を忌避して、いずれの措置をとることも了解せず、あえて救命の可能性の最も低い保存的療法を継続することを選択したのである。

したがって、尚美に対し、外減圧術を施行しなかったことが、第二日赤の過失とはならないというべきである。

4  賠償すべき損害の評価(争点5)について(原告ら)

(一) 開頭手術後、尚美は、全くしゃべれず、原告らの言うことにもほとんど反応せず、手足が痳痺して自分一人では全く動けず寝たきりの状態になった。食事、トイレも一人ではできず、原告らが介助してきた。第二日赤退院後は、次のとおり入通院をしたが、通院の場合は原告らが尚美を車椅子に乗せ、車での通院であった。

そして、結局、尚美は、脳出血とそれに続く脳梗塞が原疾患となって、呼吸中枢障害を来たし、呼吸状態の悪化により急性心不全で平成二年一月二九日に死亡した。

(二) 損害額

(1) 治療費・薬代(本人負担分)

(合計) 九五万四九四二円

① 京都市身体障害者リハビリテーションセンター 一万六六八〇円

昭和五九年六月一五日から同六二年七月二二日通院分

② 京都大学胸部疾患研究所

五万四三〇〇円

昭和五九年七月二一日から平成元年一一月二八日通院分

③ 星が丘厚生年金病院

二万五三八〇円

昭和六〇年六月一日から同六一年一二月三一日通院分

④ 毛利胃腸科病院

二三万六二九〇円

昭和六一年六月八日から同六三年一一月二〇日通院(入院含む)分

⑤ 聖ヨゼフ整肢園

一五万九三四〇円

昭和六三年二月一三日から平成二年一月一〇日通院(入院四日)分

⑥ よしゆき診療所

一一万八九〇〇円

昭和六二年一〇月二六日から平成二年一月一八日通院分

⑦ 浜中医院 一万七二一〇円

昭和六三年一月一日から平成元年一二月三一日通院分

⑧ 高田治療院 一四万三二三六円

昭和六三年六月から平成二年七月通院分

⑨ 高柳正三 一三万三三九六円

昭和六二年一月から平成元年八月通院分

⑩ 京都大学医学部付属病院眼科

五七〇円

昭和六三年八月一六日通院分

⑪ ナカノ眼科 五三四〇円

平成元年四月五日通院分

⑫ 中村治療院 四万三九〇〇円

平成元年八月から同年一二月通院分

⑬ 京大病院前調剤薬局 四〇〇円

平成元年八月一四日処方箋調剤費

(2) 入院中の部屋代

(合計) 二六二万三〇〇〇円

① 第二日赤 六四万〇五〇〇円

② 星が丘厚生年金病院

一九八万二五〇〇円

(3) 医療器具等

(合計) 三四万七五八九円

① 車イス代 七万一九〇〇円

② 医療器具代 五万四五六五円

③ 紙オムツ、オムツカバー代

一四万三一六八円

④ 流動食代 二万五九五六円

⑤ ぶらさがり機代五万二〇〇〇円

(4) 建物改造費等

(合計) 六〇〇万五一〇〇円

尚美の自宅療養のために建物の改築を余儀なくされた。

① 建物改築費四〇〇万〇〇〇〇円

② テーブルリフター代

一五〇万〇〇〇〇円

③ 風呂改造費 三五万五一〇〇円

④ 特殊ベッド代一五万〇〇〇〇円

(5) 入院雑費

(合計) 八七万一〇〇〇円

(計算式)一三〇〇円×六七〇日

(6) 付添看護費

(合計) 一八四五万〇〇〇〇円

(計算式)六〇〇〇円×三〇七五日

(7) 通院交通費

(合計) 八万九七一〇円

(8) 休業損害

(合計) 一四三六万〇八六二円

尚美は、昭和五六年八月二二日から休業を余儀なくされているが、昭和五七年八月までの賃金は勤務先から補償されていたので、昭和五七年九月分から平成二年一月分までの休業損害(昭和五七年女子短大卒平均月収による)を請求する。

(計算式)一六万一三五八円×八九か月

(9) 入・通院慰謝料

一〇一〇万〇〇〇〇円

尚美は、二二歳から三〇歳という若い時期、人生で最も楽しい時期に植物人間として生存していたのであるが、その精神的苦痛は極めて甚大である。右精神的苦痛を慰謝するには、一か月当たり一〇万円とするのが相当である。

(計算式)一〇万円×一〇一か月分

(10) 死亡による逸失利益

四八六三万八四九四円

平成二年女子短大卒平均年収により、六〇歳まで稼働しえたとして、三〇年の新ホフマン係数を採用し、生活費控除を三〇パーセントとして計算する。

(計算式)336万8900円×20.625×(1−0.3)

(11) 死亡による慰謝料

三〇〇〇万〇〇〇〇円

(三) 尚美の死亡により、原告らは、前項の損害賠償請求権(合計一億三二四四万〇六九七円)を、二分の一ずつ相続した。

第三  当裁判所の判断

一  皮質下出血について

甲四、甲五、甲一一四ないし一三七、乙五及び乙八、証人武美及び同久保の各証言によれば、次の事実が認められる。

1  意義

皮質下出血とは、基底核、視床、内包を除外した大脳半球実質内に生じた出血をいう(甲四―六一頁、甲一一八―三二五頁)。

2  脳出血中の発症頻度

国立循環器病センター脳卒中集中治療科における脳出血急性期入院例七四四例(昭和五三年から平成二年までの一三年間)の分析結果によれば、そのうち皮質下出血例は14.7%となっており、他のデータでも8.2%ないし13.9%とするものがあり、皮質下出血が脳出血全体に占める割合は、十数%程度とみられる(朝田鑑定資料文献2―一六九頁)。

3  発症原因

発症原因としては、高血圧性によるもの、脳動静脈奇形、脳動脈瘤などの血管異常によるもの、神経膠腫などの脳腫瘍によるもの及び外傷などがあるが、原因が不明なものもある(甲四―六一頁、甲五―四一六頁、甲一一九―一八頁、甲一二〇―一六〇頁)。CT検査や脳血管撮影でも血腫原因が不明な症例は、特発性脳内血腫と総称されるが、その中には、脳血管撮影でも補足されない微細な血管奇形(small an-giomatous malformation=SAM)が存在することが次第に明らかにされてきている(甲一二四―五四一〜五四二頁、甲一三四―一〇三頁、甲一三五―一〇五三頁、甲一三六―一三七三頁、甲一三七―八五九頁)。

4  発症年齢と性別

発症年齢としては、高齢者(六〇歳代)に多くみられる(甲一一五―三一四頁=平均六三歳、甲一一八―三二五頁=保存的治療群の平均五四歳、外科的治療群の平均六一歳、甲一二四―五四一頁=平均65.3歳、甲一二五―三七頁=平均六四歳、甲一二九―一二五頁=六〇歳代がピークとする、甲一三一―一八七頁=平均六五歳、甲一三二―一九二頁=、ピークは六〇歳代、武美九丁裏〜一〇丁表)が、若年者にも比較的多いとする報告もある。(甲一三四―一〇三頁=平均36.8歳、甲一三五―一〇五三頁=平均40.2歳、甲一三六―一三七三頁=平均30.1歳、甲一三七―八六三頁=三分の二が四〇歳未満、なお甲一二三―八四頁は平均53.4歳であるが、女性の平均は36.2歳とする)。性別では、男性が多いとするものもある(朝田鑑定資料文献2―一六九頁=二倍、甲一三五―一〇五三頁=2.6倍、甲一三七―八六三頁=2.5倍)が、男女差を認めなかったとするものもある(甲一二三―八四頁、甲一三六―一三七三頁)。

5  初発症状

初発症状(発症時の症状)としては、頭痛(56.2%)、嘔気・嘔吐(42.3%)、意識障害等の脳圧亢進症状(41.3%)、運動痳痺(49.0%)、言語障害(31.5%)、知覚障害(15.2%)、視野障害(11.9%)、精神症状(10.0%)、痙攣(7.4%)などがあり(甲一二九―一二五頁〜括弧内の割合は東北六県の六四施設の報告例六五三の分析結果に基づく)、そのうち特に頭痛及び嘔気・嘔吐の発生頻度が高い(甲一二三―八五頁=頭痛七二%、嘔吐六七%、甲一三四―一〇五頁=頭痛・嘔気84.2%、甲一三七―八六三頁=頭痛六八%)。神経学的な巣症状は、病変の局在のいかんによって決まり(甲一二三―八五頁、甲一三〇―一七一頁)、尚美の場合は、左前頭葉であるから、精神機能の低下、言語障害、知的機能の低下などに始まり、血腫が大きくなれば運動領野を圧迫することにより右不全痳痺等が現われることもある(朝田三〜六頁)。

発症の形式により次の三型に分類することができる(甲五―四一六頁、甲一三六―一三七四頁、甲一三七―八六三頁、)。

急性型…頭痛や嘔吐などくも膜下出血様症状で突然発症し、次いで比較的速やかに意識障害や片痳痺の出現を見るもの。もっとも、急性型といえども発症が比較的緩徐であるのが本症の特徴である。

緩徐型…頭痛や痙攣の後、数日以上を経て徐々に意識障害や運動障害が進行するもの。

間歇型…痙攣や頭痛の発作を繰り返し、そのうち大きな出血発作のため明らかな神経症状の出現を伴うもの。

6  症状経過

その後の症状経過は、血腫の局在や発症からの経過により様々であるが、概して意識障害、局所神経症状を呈するものが多い。発症からみると臨床経過は緩慢で、意識障害は遅れて出現する傾向にある(甲一三五―一〇五四頁、甲一三六―一三七四頁)。

出血が始まってから止まるまでの時間は通常約一、二時間である。出血と同時に出血した血腫により脳の実質が損なわれ、かつ、血腫の周囲の脳の浮腫が進行し、前記のように様々な症状を呈する。血腫がある程度大きい場合は、脳浮腫は進行していくが、他方、血腫の大きさが小さい場合は、ピークを経過した後、浮腫は整理されて縮小し、血腫も周辺から変性を起こして赤血球が壊れて吸収され、軽快していくこともある(武美二〇丁表〜二二丁表)。

頭蓋内に腫瘍や血腫等の占拠性病変、脳の循環障害、静脈の還流障害、炎症などが生じると、頭蓋内は硬い骨に囲まれた閉鎖腔であるので、頭蓋内圧が上昇して頭蓋内にある動眼神経等の神経を圧迫し、さらに症状が悪化すると、圧迫により脳の偏位(脳ヘルニア)が生じて脳幹の機能障害を生じさせ、脳死状態になる(久保⑨八丁表〜九丁裏、久保⑩一三丁裏〜一四丁表)。

7  診断方法

確定診断はCTによる。病初期から出血巣の部位と大きさが高吸収域として明瞭に描出される(甲一三〇―一七二頁、甲一三五―一〇五九頁)。また、皮質下出血は前記のとおり動静脈奇形や脳動脈瘤などを原因とする出血の好発部位であることなどから、特に若年者に対しては、脳血管撮影を行い、血管病変の有無を確認する必要がある(甲四―六一頁、甲一三〇―一七二頁)。

補助検査として腰椎穿刺を施行した場合、性状としては血性からキサントクロミー(黄色調)を呈するものが多いが(甲一三四―一〇五頁、甲一三五―一〇五七頁、乙五―七一六頁)、一五ないし二〇%は清澄髄液を示すこともあり、この場合、タンパク量についてみると、一二〇mg/dl以上を示すものは、その四分の一に相当し、五〇mg/dl前後が多く、四〇mg/dl以下を示すものは少数例にすぎない(甲六―三六一頁)。髄液圧は、正常液圧が、側臥位で五〇から一八〇水柱mmであるのに対し、脳出血の場合、正常より高く、四〇〇水柱mmに達するものもある。但し、清澄髄液を示す脳出血は、血性又はキサントクロミーを示す脳出血よりもやや低く、脳梗塞の液圧(二〇〇水柱mm以下)とほとんど変わりがない(甲六―三六一頁。もっとも、甲一三六―一三七四頁は、髄液圧・性状には診断的意義はないとしている)。

8  重症度判定

(一) 意識障害の程度

脳出血の重症度を判定するうえでもっともよい指標となるのは意識障害の程度であるが、神経学的重症度を示す基準には種々のものがある。脳卒中の外科研究会による神経学的重症度を示す基準であるNG(Neurological Grading)又はグレード(grade)の分類は、表(1)の上段のとおりである。また、三―三―九度方式(Japan coma scale)による意識障害の分類は、表(2)のとおりであり、両基準の関係は、表(1)に示したとおりである(甲一四〇―一八〇頁、甲一四一―二六六頁)。

(表(1))

NGの症状分類

三―三―九度方式との対応

1

意識清明

0又はⅠ

2

傾眠

Ⅱ―1

3

昏迷

Ⅱ―2・3

4a

脳ヘルニア徴候のない半昏睡

Ⅲ―1

4b

脳ヘルニア徴候のある半昏睡

Ⅲ―2

5

昏睡

Ⅲ―3

(表(2))

0 意識清明

Ⅰ 刺激しないでも覚醒している状態

1 大体意識清明だが、今一つはっきりしない(一)

2 見当識障害がある(二)

3 自分の名前、生年月日がいえない(三)

Ⅱ 刺激すると覚醒する状態

1 普通の呼びかけで容易に開眼する(一〇)

2 大きな声又は体を揺さぶることにより開眼する(二〇)

3 痛み刺激を加えつつ呼びかけを繰返すと辛うじて開眼する(三〇)

Ⅲ 刺激しても覚醒しない状態

1 痛み刺激に対し、払い除けるような動作をする(一〇〇)

2 痛み刺激で少し手足を動かしたり、顔をしかめる(二〇〇)

3 痛み刺激に反応しない(三〇〇)

(二) その他の指標

外科的治療をしても救命が困難であるとされる脳ヘルニアの有無の判定に当たっては、右の意識障害に加えて、次の三点について観察を行う(甲五―四一八〜四二〇頁、乙八―五四〜五頁、久保⑪六丁表裏)。

(1) 呼吸

チェーンストークス(Cheyne-Stokes)呼吸(障害が大脳半球両側皮質下にあるか、間脳に障害がある場合にみられる呼吸)、中枢神経性過呼吸(障害が中脳の下部又は橋上部に及んだ場合に生ずる呼吸で、呼吸数の多いもの)、無呼吸性呼吸(橋下部に障害が及んだ場合に生ずる呼吸で、呼吸数の少ないもの)、失調性呼吸(延髄に障害が及んだ場合に生ずる呼吸で、リズムが乱れ、深さも一様でないもの)があり、中枢神経性過呼吸、無呼吸性呼吸、失調性呼吸が生ずると予後は不良である。

(2) 眼症状

① 瞳孔の大きさ

一側が五mm以上に散大している場合予後は極めて不良とされている。

② 毛様体脊髄反射

頸部又は顔面をつねったときに、つねった側の瞳孔が散大する反射で、これが消失すると、障害が中脳から脳幹へ及んでいると考えられる。

③ 人形の目運動

両手で患者の頭部を左右に回した場合、頭の回る方向と反対の方向に眼球が動くときは脳幹に障害が及んでいないが、正中位に眼球が固定するときは脳幹に障害が及んでいるとされる。

④ カロリック・テスト(Caloric test)

冷水を一方の耳から注入し、眼球が注入方向をにらむ共同偏視がみられる場合には脳幹障害はなく、眼球が全く動かない場合には脳幹障害があることを意味する。

(3) 四肢

痛み刺激に対し、下肢が伸展し、上肢が屈曲した状態を除皮質硬直といい、脳幹より上の大脳で、錐体路と錐体外路が部分的に損傷を受けたときに出現する。これ自体は脳幹の損傷を意味するわけではなく、生命予後を決定するものでもない。

痛み刺激に対し、下肢・上肢ともに伸展した状態を除脳硬直といい、明らかに脳幹損傷がある場合に出現する。呼吸中枢と血管運動中枢(さらに下位の脳幹部)が損傷を免れていれば、十分な看護のもとで生きることはできるが、社会復帰は難しいとされる。

9  治療方法と予後

(一) 治療方法

治療方法としては、ステロイドと減圧剤(脳圧降下剤)の投与及びバイタルサインを中心とした全身的な管理を行う保存的療法と開頭血腫除去術及び穿頭血腫吸引術などを行う外科的療法がある(甲一一五―三一四頁、甲一二〇―一八九四頁、甲一二九―一二七頁、甲一三〇―一七三頁、久保⑩一丁裏〜三丁表、甲一三二―一九七頁)。治療方法の選択は、臨床症状により異なり、手術適応についても必ずしも一定の見解は得られていない(甲一三二―一九二頁)

(二) 予後の分類

予後の状態(ADL)の分類については、脳卒中の外科研究会の基準によると表(3)のとおりである(甲一四一―二六七頁)。

(表(3))

分類

状態

ほとんど正常に回復したもの(社会復帰)

日常生活はほとんど自力で可能

(一時社会復帰可能)

日常生活は可能だが、他人の助けを必要とする(社会復帰は困難)

ねたきり

植物状態

死亡

(表(4))

full recovery

good

good outcome

good recovery

partial disability

fair

morbidity

moderate disability

total disability

poor

server disability

vegetative state

死亡

dead

death

mortality

dead

なお、予後の状態については、臨床事例の報告者によって独自の分類をしているものが少なくないが、以下の記述については、相互の関係を表(4)のとおり整理し、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・死亡の六分類で表示する。

(三) 治療方法の選択と予後に関する報告例

治療方法の選択は、臨床症状により異なり、手術適応についても必ずしも一致した見解はないが、大学や医療施設が取り扱った皮質下出血事例について、以下のような分析・報告がなされている。

(1) 阪和記念病院脳神経外科(甲四=外科MOOR―昭和五八年)

① 対象事例

高血圧性皮質下出血八五例〔保存的療法群四四例(五二%)、外科的療法群四一例(四八%)〕

② 治療法の選択

症状が軽く血腫が小さいものには保存的治療が適しているが、発症時から重篤な症状を呈するものには手術を施行しても結果は良くない。発症時は軽い症状であったが、その後血腫の増大がないにもかかわらず症状が悪化する場合に手術の絶対適応である。

③ 予後

血腫の大きさは機能予後に関してはほとんど影響がない。来院時の症状が軽度でありその後どんどん悪化した例では手術によりADLⅠ・Ⅱ程度(同報告ではuseful survivalとされている)となる可能性が高い。

(2) 三重大学脳神経外科(甲一一五=脳卒中七巻四号―昭和六〇年)

① 対象事例

昭和五二年一月から同五八年九月までに三重大学及び関連施設に入院し治療を行った大脳皮質下出血三五例〔保存的療法群二二例(六三%)、外科的療法群一三例(三七%)〕

② 治療法の選択

大脳皮質下出血の多くは保存的療法で良好な結果が得られ、テント切痕内ヘルニアを示し、急速に状態が悪化する症例においてのみ迅速な手術による血腫除去が必要である。

③ 予後

血腫の大きさ及び発症部位と予後は相関なく、むしろ発症時意識レベルとCT上のPerimesencephalic cistern(中脳周囲脳槽)の変形が予後に影響する。

(手術群での神経学的重症度と予後の関係)

NG1(三例)では、いずれもADLⅠ

NG2(五例)では、ADLⅠ・Ⅱが各二例、一例が死亡

NG3(二例)では、一例がADLⅠ、残り一例はADLⅣ

NG4a(一例)の結果はADLⅢ

NG4b(二例)は、いずれもADLⅢ

(中脳周囲脳槽の形との関係)

全く正常なもの(六例)はいずれもADLⅠ

軽度左右差を示すもの(二例)では、ADLⅣと死亡

明らかに変形しているもの(二例)は、いずれもADLⅡ

脳槽が全く消失して見られないもの(三例)は、いずれもADLⅢ

(3) 東京女子医大脳神経センター脳神経外科(甲一一七=脳卒中八巻六号―昭和六一年)

① 対象事例

特発性皮質下出血四〇例〔保存的療法群二一例(五三%)、外科的療法群一九例(四七%)〕

② 治療法の選択と予後

CT上血腫径が三〇mm以下であれば保存的療法が望ましい。血腫径が三〇mm〜四〇mmの場合は、入院時の意識レベルが一桁(三―三―九度方式のⅠ)以下では保存的療法が望ましく、二桁(同Ⅱ)以上では手術療法が望ましい。また、血腫径が四〇mm以上の場合は、ハイリスクでない限り手術療法の方が予後が良好である。

(4) 旭川医科大学脳神経外科(甲一一八=神経内科二七巻四号―昭和六二年)

① 対象事例

昭和五三年から同五九年までに旭川医科大学脳神経外科において経験した皮質下出血三〇例〔保存的療法群一〇例(三三%)、外科的療法群二〇例(六七%)〕

② 治療法の選択

血腫量が二〇ml以下では死亡率、機能的予後の両法において保存的治療で十分であり、四〇ml以上では外科的治療の適応があるが、二〇から四〇mlでは機能予後の点からは保存的、外科的治療間で明らかな差を認めなかったが、死亡率の面からは外科的治療が優れており、少なくとも意識障害の存在する例は手術適応である。

③ 予後

死亡率が高くなる要因としては、術前の意識レベルと年齢が挙げられ、機能的予後は必ずしも血腫量に相関せず、年齢と片麻痺等が影響する。

(手術群での術前レベル(三―三―九―度方式)と予後の関係)

術前意識レベル0(六例)では、四例がADLⅠ(full recovery)、一例がADLⅡ又はⅢ(partial disability)、一例がADLⅣ又はⅤ(total disabil-ity)

意識レベル一〜二(六例)では、三例がADLⅠ(full recovery)、二例がADLⅡ又はⅢ(partial disability)、一例は死亡

意識レベル一〇(四例)では、二例がADLⅠ(full recovery)、二例がADLⅡ又はⅢ(partial disability)

意識レベル一〇〇〜二〇〇(二例)は、全部死亡

意識レベル三〇〇(二例)では、一例がADLⅡ又はⅢ(partial disabil-ity)、一例が死亡

(5) 岩手医科大学脳神経外科(甲一二二=日本脳神経外科学会四七回抄集―昭和六三年)

① 対象事例

岩手医科大学脳神経外科において入院時CTにて皮質下出血と診断され、脳血管撮影と手術施行例では摘出組織で血管性病変を認めなかった五〇例〔保存的療法群二五例(五〇%)、外科的療法群二五例(五〇%)〕

(手術施行例と神経学的重症度との関係)

NG1(一〇例中〇例)、NG2(一七例中六例)、NG3(八例中六例)、NG4a(一三例中一一例)、NG4b(二例全例)

② 治療法の選択

(イ) 血腫量が三五から四〇ml以上、(ロ)正中線偏位が一cm以上、(ハ)脳幹部周囲脳槽が変形、(ニ)神経学的重症度がNG3以上の場合は、手術適応である。

③ 予後

予後不良因子として、(イ)年齢が七〇歳以上であること、(ロ)血腫性状が均質でないこと、(ハ)脳幹部周囲脳槽が消失又は変形していること、(ニ)神経学的重症度が4a、4bであることが挙げられる。

(神経学的重症度と予後の関係)

NG1は一〇例全例、2は一七例中一五例、3は八例中七例、4aは一三例中八例がADLⅠからⅢであったが、残りはADLⅣ又は死亡であった(なお、手術・非手術の区別はされていない)。

(6) 国保日高総合病院脳神経外科(甲一二四=和歌山医学―平成二年)

① 対象事例

昭和五九年五月から平成元年二月までに国保日高総合病院脳神経外科において入院した皮質下出血の症例(出血等の原因が認められなかったもの)二一例〔保存的療法群六例(二九%)、外科的療法群一五例(七一%)〕

(手術施行例と神経学的重症度との関係)

NG1及び2(一七例中一二例)、NG3以上の重症例(四例中三例)

② 治療法の選択

皮質下出血では、外科的治療は機能予後に対して増悪因子にはならないことから、NG1、2や血腫量の少ない軽症例でも原則として、開頭血腫除去を行うと同時に、出血源の検索を行うべきである。

③ 予後

神経学的重症度、血腫量、発症部位等のうち、機能予後に影響を及ぼすのは入院時神経学的重症度のみである。

(手術群での神経学的重症度と予後との関係)

NG1(六例)では、五例がADLⅠ(good)、一例がADLⅢ(fair)

NG2(六例)では、五例がADLⅠ(good)、一例がADLⅢ(fair)

NG3(一例)は、ADLⅣ又はⅤ(poor)

NG4a(一例)は、ADLⅣ又はⅤ(poor)

NG4b(一例)は、死亡

(7) 中村記念病院脳神経外科(甲一二七=高血圧性脳出血の治療―平成三年)

① 対象事例

平成二年までの五年間で中村記念病院脳神経外科において経験した外傷性出血以外の皮質下出血一〇八例(脳動静脈奇形、脳動脈瘤、脳腫瘍は除外)〔保存的療法群三八例(三五%)、外科的療法群七〇例(六五%)〕

(手術施行例と神経学的重症度との関係)

NG1(七〇例中二五例)、NG2(一七例中九例)、NG3(八例中五例)、NG4a(七例中五例)、NG4b(四例中三例)

② 予後

手術施行例(evacuation=血腫除去術)での神経学的重症度、運動麻痺の程度、血腫量、第三脳室の偏位と予後の関係は以下のとおりである。

(神経学的重症度との関係)

NG1(二五例)では、ADLⅠ又はⅡが二二例、ADLⅢが二例、ADLⅣ又はⅤが一例

NG2(九例)では、ADLⅠ又はⅡが四例、ADLⅢが三例、ADLⅣ又はⅤが二例

NG3(五例)では、ADLⅠ又はⅡが一例、ADLⅣ又はⅤが四例

NG4a(五例)では、ADLⅠ又はⅡが一例、ADLⅣ又はⅤが一例、死亡が三例

NG4b(三例)では、ADLⅣ又はⅤが一例、死亡が二例

(運動麻痺の程度との関係)

運動麻痺がなかった事例(四二例)では、全例ADLⅠ又はⅡ

片麻痺の場合(五八例)では、ADLⅠ又はⅡが一六例、ADLⅢが五例、ADLⅣ又はⅤが七例、死亡が三例

四肢麻痺の場合(四例)では、ADLⅣ又はⅤが二例、死亡が二例

(血腫量との関係)

血腫量一〇ml以下(三例)では、全例ADLⅠ又はⅡ

血腫量二〇ml以下(一例)では、ADLⅠ又はⅡ

血腫量三〇ml以下(九例)では、ADLⅠ又はⅡが八例、ADLⅢが一例

血腫量四〇ml以下(六例)では、全例ADLⅠ又はⅡ

血腫量五〇ml以下(八例)では、ADLⅠ又はⅡが五例、ADLⅣ又はⅤが三例

血腫量六〇ml以下(七例)では、ADLⅠ又はⅡが四例、ADLⅢが一例、ADLⅣはⅤが二例

血腫量六〇ml超(一三例)では、ADLⅠ又はⅡが一例、ADLⅢが三例、ADLⅣ又はⅤが四例、死亡が五例

(第三脳室の偏位との関係)

偏位がない場合(一八例)では、ADLⅠ又はⅡが一五例、ADLⅢが二例、ADLⅣ又はⅤが一例

偏位が五mm以下の場合(六例)では、ADLⅠ又はⅡが四例、ADLⅣ又はⅤが一例、死亡が一例

偏位が一〇mm以下の場合(一五例)では、ADLⅠ又はⅡが八例、ADLⅢが三例、ADLⅣ又はⅤが四例

偏位が一〇mm超の場合(八例)では、ADLⅠ又はⅡが一例、ADLⅣ又はⅤが三例、死亡が四例

(8) 浜松医療センター脳神経外科(甲一二八=高血圧性脳出血の治療―平成三年)

① 対象事例

昭和四八年から平成元年までの過去一七年間に浜松医療センター脳神経外科において入院した皮質下出血一四〇例〔保存的療法群七六例(五四%)、外科的療法群五九例(四六%)〕

② 治療法の選択

神経学的重症度が軽症の例では神経心理機能の改善が期待できる一方、重症例では、五〇歳代までのNG4bまでは予後の改善が期待でき、これらに手術適応がある。

③ 予後

手術群での神経学的重症度と予後との関係は以下のとおりである。

NG1(一一例)では、ADLⅠが六例、ADLⅡが五例

NG2(二二例)では、ADLⅠが四例、ADLⅡが一四例、ADLⅢが四例

NG3(一六例)では、ADLⅠが一例、ADLⅡが八例、ADLⅢが二例、ADLⅣが一例、ADLⅤが二例、死亡が二例

NG4a(九例)では、ADLⅡが三例、ADLⅢが一例、ADLⅣが一例、ADLⅤが三例、死亡が一例

NG4b(五例)では、ADLⅡが二例、ADLⅢが一例、死亡が二例

NG5(一例)は、ADLⅣ

(9) 第九回東北脳血管障害懇話会―東北地区皮質下出血(特発性)調査報告(甲一二九=高血圧性脳出血の治療―平成三年)

① 対象事例

平成二年における東北六県六四施設のアンケートによる単発性皮質下出血(外傷性、脳腫瘍、動脈瘤、モヤモヤ病、出血性梗塞を除く)六五三例〔保存的療法群三二八例(五〇%)、外科的療法群二九六例(四五%)、不明二九例〕

② 治療法の選択

意識レベルを三―三―九度方式で表した場合、0群では非手術群が治療結果が優り、意識障害のない症例では血腫除去術の適応はないと考えられ、意識Ⅲ群では、意識二〇〇の症例で手術群と非手術群との間で死亡率の差が大きく(前者は五〇%、後者は94.4%)、意識Ⅲ群、特にⅢ―2の症例の救命という意味で有意に手術群の治療成績が優る。

③ 予後

(神経学的重症度との関係)

手術群において、入院時意識状態(三―三―九度方式)が0群、Ⅰ群、Ⅱ群、Ⅲ群とすすむにつれて、退院時ADLは、顕著に悪化し、完全復帰・自立(good outcome)が減少し、介助・臥床・植物状態(morbidity)及び死亡(mortality)が上昇する。

(血腫量との関係)

血腫量四〇ml以上の大血腫群では、手術群でのmorbidity(介助、臥床、植物状態)41.7%、mortality(死亡)9.7%に対し、非手術群ではそれぞれ16.2%、47.0%であり、手術群の方が有意に予後がよかったが、中血腫(二〇から四〇ml)及び小血腫(二〇ml未満)では有意な差を認めなかった。

(10) 徳島大学医学部脳神経外科(甲一三二=日本臨床五一巻―平成五年)

① 対象事例

過去五年間に徳島大学医学部脳神経外科において経験した皮質下出血五七例〔保存的療法群二四例(四二%)、外科的療法群三三例(五八%)〕

② 治療方法の選択

開頭血腫除去術の場合、(イ)年齢は七〇歳以下、(ロ)神経学的重症度はNG2、3では他の因子を考慮して症状により適応とし、NG4a以上は救命のために手術適応とする、(ハ)血腫量は四〇ml以上、(ニ)リスクが少ないこと、を手術適応とする。

③予後

(神経学的重症度との関係)

手術群(開頭血腫除去術一七例、血腫吸引術一六例)における入院時神経学的重症度と予後との関係は以下のとおりである。

NG1(一六例)では、ADLⅠが二例、ADLⅡが九例、ADLⅢが五例

NG2(九例)では、ADLⅡが七例、ADLⅢが二例

NG3(五例)では、ADLⅡが一例、ADLⅢが三例、死亡が一例

NG4a(一例)は、ADLⅢ

NG4b(一例)は、ADLⅢ

NG5(一例)は、死亡

(血腫量との関係)

血腫量一九ml以下では保存的治療でよく、二〇〜四〇ml未満では、ADLは保存的治療群に対し若干開頭術群と血腫吸引術群でよいが、有意差はなかった。四〇ml以上では、保存的治療では転帰不良となるが、血腫吸引術群及び開頭術群では予後良好例が期待できる。

(11) 京都大学医学部脳神経外科、小倉記念病院脳神経外科、岐阜大学医学部脳神経外科(甲一三一=日本臨床五一巻―平成五年)

① 対象事例

京都大学医学部脳神経外科、小倉記念病院脳神経外科、岐阜大学医学部脳神経外科における過去一三年間に経験した皮質下出血六三例〔保存的療法群二九例(四六%)、外科的療法群三四例(五四%)〕

② 治療方法の選択

(イ)血腫量二〇ml未満の症例で術前診断により、血管腫が証明されていないもの、(ロ)アミロイド血管障害が疑われるもの、(ハ)血腫量二〇ml以上の症例で、来院時神経学的重症度が1又は2で、かつ、血管腫の証明がなされていないものは、手術療法よりも保存的療法の適応である。

手術療法と神経学的重症度との関係では、重症度1に入る一三例中、手術療法を実施したのは五例、重症度2では二二例中一二例、重症度3では一五例中一一例、重症度4では一二例中六例、重症度5では一例中〇例である。

③予後

手術療法実施例における神経学的重症度と予後の関係は以下のとおりである。

NG1(五例)では、全例がADLⅠ又はⅡ(good recovery)

NG2(一二例)では、ADLⅠ又はⅡ(good recovery)が八例、ADLⅢ(moderate disability)が二例、ADLⅣ(severe disability)が一例、死亡が一例

NG3(一一例)では、ADLⅠ又はⅡ(good recovery)が四例、ADLⅢ(moderate disability)が三例、ADLⅣ(severe disability)が三例、死亡が一例

NG4(六例)では、ADLⅠ又はⅡ(good recovery)が一例、ADLⅢ(moderate disability)が一例、ADLⅣ(severe disability)が三例、死亡が一例

(四) 術後措置

術前の状態が重篤な例では手術後に頭蓋内亢進症状を来すことがある(甲四―六七頁)。その場合の治療方法としては、外科的及び保存的治療の二つに分かれ、外科的治療には、外減圧術と内減圧術がある(甲一三八―二四一頁、久保⑪三七丁表〜裏、朝田三九〜四〇頁)。

(1) 外科的治療法

①外減圧術

頭蓋骨片を除去し、骨窓を作る。頭蓋内圧亢進のあるときには、頭蓋内容物が膨隆してくる。主に側頭骨で頭蓋底に近く骨窓を作ると効果的である(側頭下減圧術)。また、骨窓の範囲の硬膜を解放したままにする操作も同時に行われる。

② 内減圧術

脳組織、特に非優位側前頭葉並びに側頭葉尖端を切除する。

(2) 保存的治療法

脱水剤(体内で普通に利用されず、しかも無害なもので、体外に容易に排出される物質を高張溶液として用い、体内水分を除去しようとするもの)や副腎皮質ホルモン(抗炎症性作用による細胞及び細胞膜の強化、損傷脳毛細管の透過性亢進予防、血液・脳関門の防衛、修復作用により脳浮腫に対処するもの)による内科的治療法

二  被告濱中に対する請求について

1  まず、尚美の症状から頭蓋内占拠性病変を疑わなかったことの是非について検討する。

前記基礎的事実の「浜中医院における診療経過」によれば、被告濱中の診療を受けていた一八日から二二日までの尚美の主な症状は、頭痛、嘔気、嘔吐、食欲不振であり、皮質下出血の初発症状としては頭痛及び嘔気、嘔吐の発生頻度が高いこと及びその後の推移からすれば、尚美の右症状は、皮質下出血による症状であったことが推認される。

そして、頭痛、嘔気、嘔吐は、脳内血腫、脳腫瘍など頭蓋内占拠性病変による頭蓋内圧亢進病態の一つであるから、右のような症状がある場合は、頭蓋内占拠性病変も一つの可能性として考慮すべきである(朝田鑑定一頁)。

被告濱中が尚美に対し、頭部打撲や手足のしびれ感の有無を尋ねたのもそのような可能性に対する鑑別の意味があったものと考えられる。

しかし、頭痛は、偏頭痛から頭蓋内占拠性病変まで全てに渡りみられるポピュラーな症状であり、頭痛が激しい場合は嘔気、嘔吐症状を伴うことが多いこと(朝田四頁)、皮質下出血の発症年齢は、若年者にも比較的多いとする報告もあるが、概ね平均六〇歳程度とされているところ、尚美は当時二二歳と若年であったこと、発症の形式(急性型・緩徐型・間歇型)により異なるものの、皮質下出血においては、初発症状として、病変の所在する部位の機能障害(神経学的脱落症状)がみられることも少なくないが、尚美の場合は、被告濱中の診療を受けていた間(二二日午前八時すぎの足を引きずるような歩容の出現以前)に、意識障害、運動麻痺、言語障害等の明らかな神経学的脱落症状はみられなかったことからすれば、頭痛、嘔気、嘔吐があることのみをもって頭蓋内占拠性病変を疑うことは困難であり、被告濱中にこの点において注意義務違反があったとは認めがたい。

2  次に、脳神経外科医ではなく回生病院に転院させたことの是非について検討する。

二二日午前八時すぎになって、尚美に、足を引きずるようにして歩いたり、ふらついて倒れるような症状が見られるに及んで、被告濱中も単なる頭痛ではなく、脳脊髄炎ではないかとの疑いをもち、回生病院へ転院させることになったが、尚美の右症状は、軽度の運動障害、特に歩行困難(麻痺)の症状の可能性もあるものの(濱中一九丁裏)、被告濱中の供述によれば、尚美は、足を引きずるようにしていたが、周囲のものに寄りかかるような状態ではなく、とぼとぼと歩くという状態であったというのであり(二〇丁表)、回生病院転院直後の診断でも、膝蓋腱反射は正常であり、意識は明瞭で、言語障害もなく、知覚・運動障害も認められていないことからすれば、尚美の右症状をもって、明確な神経脱落症状が存在したとまでは認められない。

そして、この時点では、髄膜炎も疑われ(現に、回生病院入院直後、竹中医師は、最初に腰椎穿刺による髄液検査を行っている)、それ以外にも脳腫瘍、頭蓋内出血などの頭蓋内占拠性病変あるいはウイルス性感染症等の内科的疾患も疑われる(朝田鑑定二頁)が、証人朝田の証言(一九頁)によれば、頭痛を訴える患者を診察した際、進行を観察して診断をしてから脳外科に送るというのが通常の順序であることが認められるところ、前記のとおり被告濱中の診察を受けていた間の尚美の症状からは、直ちに脳神経外科の診察が必要と思われるような明確な神経脱落症状が存在したわけではないから、CT設備はないとはいうものの、第二日赤の脳神経外科の専門医が定期的(週二回)に診察を行っており、必要があれば緊急連絡により専門医の診察を受けることが可能であり、かつ、被告濱中の先輩がいる関係で緊急入院しやすい回生病院に尚美を紹介入院させたことをもって、被告濱中に診療義務違反があったとまでは認められない。

3  そうすると、被告濱中については、診療契約上あるいは不法行為としての注意義務違反があったとはいえないから、その余の点について検討するまでもなく、同被告に対する請求は理由がない。

三  被告回生会に対する請求について

1  眼底検査やCTを行わないで髄液検査を実施した点について

先に認定したとおり、尚美の転送を受けた竹中医師は、初診時の諸検査(眼底検査やCTは実施していない)を行った後、腰椎穿刺による髄液検査を行っているところ、脳腫瘍、脳出血などで非常に頭蓋内圧が上昇している場合、髄液排除により脳ヘルニアを助長し、意識障害などの症状を悪化させ死亡する場合があることから、昏酔あるいは半昏酔患者には、先ずCTを行うか、脳血管撮影を行うべきであるとされ、また、少なくとも眼底検査を行い、うっ血乳頭などの頭蓋内圧亢進症状のないことを確認し、眼底検査で乳頭浮腫を認めた場合は髄液検査を実施しない方がよいとされている(甲六=脳卒中のすべて第二版(昭和五五年)―三六〇〜三六一頁、朝田鑑定五頁)。

したがって、回生病院において、二二日に尚美に対し、眼底検査をせずに髄液検査(腰椎穿刺)を実施したことは問題があるというべきである。

しかし、当時は、CT検査をしないで腰椎穿刺を行うことも少なくなかったことに加え、髄液検査の結果、脳圧は正常であることが認められており、また、尚美は髄液検査後、意識低下や脳ヘルニアによる症状の出現は見られなかっただけでなく、当日は、頭痛、嘔気、嘔吐もなかったことが認められ、その後も二五日まで、頭痛、嘔気、嘔吐の症状も一進一退の状況で著変はないこと、さらに、第二日赤に転院当日の二七日の久保医師の診察結果によっても眼底うっ血乳頭はなかったことが認められるから、結果的にではあるが、回生病院が、尚美に対し、CT検査及び眼底検査を行わずに、腰椎穿刺による髄液検査を行ったことが、尚美の事後の症状に悪影響を及ぼしたとは認められない(朝田鑑定五頁)から、この点を根拠とする原告らの主張は採用できない。

2  髄液検査の結果から脳圧亢進の疑いをもたなかった点について

脳出血の場合、髄液検査の結果は脳圧が正常値(五〇から一八〇水柱mm)よりも高く、外観は血性からキサントクロミーを呈するものが多いところ、尚美の髄液検査の結果は、脳圧が一七〇水柱mmとやや高位ではあるものの正常範囲であり、外観は水様透明であったうえに、二二日の尚美の症状は、主に頭痛、嘔気、嘔吐を訴える他は、意識は清明であり、特に脳圧亢進を疑わせる神経脱落症状といったものは認められなかったことからすれば、竹下医師が、尚美の一般症状(尚美は高血圧の既往もなく、正常血圧値であった)と右髄液検査の結果から脳圧亢進を疑わなかったことはやむを得ないというべきであり、注意義務に違反する点があったとはいいがたい。

もっとも、脳内出血の場合でも清澄髄液を示すものが一五ないし二〇%は存在するといわれており、原告らも指摘するように、脳実質内で出血した場合、くも膜下腔に出血がなければ、髄液が血性髄液になることはないから、髄液の外観が水様透明であったことをもって、完全に脳内出血を否定することはできない(朝田二二頁)。しかし、清澄髄液を示す脳内出血の場合は、タンパク量が五〇mg/dl前後を示すことが多く、四〇mg/dl以下を示すものは少数例に過ぎないところ、尚美の髄液検査の結果は、髄液のタンパク量が一九mg/dlであり、右の場合の特徴も有していないのであるから、この点からも、竹中医師が、髄液検査の結果から脳出血などの頭蓋内占拠性病変の可能性が低いと判断したことをもって、注意義務違反があったとすることはできない(朝田鑑定五頁)。なお、証人武美(二八丁裏)は、頭蓋内圧が非常に高くて脳脊髄液が少なくなっている場合には、脳圧が正確に測れなくなる恐れがあることを指摘しているが、本件において、二二日の時点で尚美の脳脊髄液が少なくなっていたことを示すものはなく、右証言は一般的な可能性の指摘に過ぎない。

3  二六日の時点でCT検査又は脳神経外科医に受診させなかった点について

前記基礎的事実の「回生病院における診療経過」によれば、二二日に回生病院に入院後、二五日までの間は、時に強い頭痛を訴えるときもあり、回転性の眩暈があって歩行できず、ベッド上で排泄することもあったが、頭痛、嘔気、嘔吐が消失していることもあり、食事も概ね八〜九割は摂取しており、顕著な頭蓋内圧亢進状態は見られておらず、二二日に施行した髄液検査の結果が前記の通り正常範囲であったことも併せ考えると、この四日間については、頭蓋内占拠性病変を想定した措置をとらなかったこともやむをえなかったと考えられる(朝田鑑定三頁、朝田二四〜二五頁)。

しかし、二六日の早朝に尚美は尿失禁をし、前日には治まっていた嘔気、嘔吐が出現し、自制しがたい頭痛も訴えるなど、容態に変化が生じており、頭蓋内占拠性病変についてもそれまでよりは強く疑うべき状況になったと見られる。そして、竹下医師自身も、同日には、再度の腰椎穿刺、脳血管撮影、CTなど脳に絞り込んだ検査が必要であり、脳外科医の診断も考えなければならないと思い始めていたというのである。そして、尚美の右容態の変化は、新たな出血や脳浮腫の増悪による脳圧の亢進の可能性もあるから、早急にCT検査の実施を検討するべきであり、又は脳神経外科医に受診させるべきであったと考えられる(朝田鑑定四頁)。

もっとも、当時、回生病院にはCT設備はなかったため、尚美に対しCT検査を施行するには他のCT設備を有する病院に依頼することが必要となるところ、当時の京都市内におけるCTの普及状況は次のとおりである。なおCT検査が保険診療報酬として認められたのは昭和五三年一月二八日である(甲一〇八ないし一一二の各1、2)。

第二日赤

………昭和五三年一月二一日から稼働

京都第一赤十字病院

……………昭和五二年六月三〇日導入

京都大学付属病院

……………昭和五一年五月二〇日導入

京都府立病院

………………昭和五二年九月一二日。

京都市立病院

………昭和五三年一月から全身用CTを賃借して使用

同年一〇月頭部CT導入

同五五年四月からは全身用に更新

右のように、京都市内においては、本件当時既に右の各病院にCTが導入されてから約三年以上経過していることが認められ、回生病院としては、二六日中にこれらの病院に緊急のCT検査を依頼するべきであったといえよう。

しかし、他方、証人竹下の証言(四一丁表)によれば、昭和五六年八月当時、回生病院から京都大学附属病院や第二日赤にCTを依頼することは、月に約一〇件程度あったが、CT検査を申し込んだとしても、翌日に撮影できるという状態ではなかったことが認められるのであり、二六日中にこれらの病院にCT検査を依頼しても実際に実施できたか否かは明らかではない。

また、仮にいずれかの病院において二六日中にCT検査が施行できたとすれば、後記のような二七日の武美医師の措置や第二日赤でのCT検査及びその後の推移からみて、一日ないし半日早く脳圧降下剤や脳浮腫改善剤の投与が始められた可能性はあるが、それ以上に特段の措置がなされたとは認められず、一日ないし半日早く右の薬剤が投与されることが尚美の予後に何らかの影響を与えたか否かは判然としない。

脳神経外科医の判断についても、回生病院には、第二日赤から定期的に専門医が来診していたのであるから、緊急の診断を要請すれば、受診させることができた可能性は否定できないが、二七日には武美医師が診察をしているのであるから、結局は、その診察が一日ないし半日遅れたことになるだけであり、CT検査と同様、その影響は明らかであるとはいえない。

したがって、二六日にCT検査の依頼もせず、脳神経外科医の診断を受けさせるべき措置をしなかった竹下医師の対応は適切でなかったといわざるをえないが、これらの一日ないし半日の遅れが尚美の予後に具体的な悪影響を与えたと認めるべき証拠もないから、いずれにしても被告回生会に責任があるとはいえない。

4  よって、原告らの被告回生会に対する請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。

四  被告日赤に対する請求について

1  血腫除去手術の適応と施行時期について

(一) 手術適応

皮質下出血に対する治療方法については、保存的療法と外科的療法があるところ、各療法の選択基準について、本件手術当時においては、未だ一致した見解があったわけではなく、臨床症状に応じて、それぞれの療法が選択されていたものであるが、前記「治療方法の選択と予後に関する報告例」に示した各医療機関の皮質下出血事例の分析・報告を総合してみると、神経学的重症度が低く(NG1又は2程度)、血腫が小さい(二〇ml以下)場合は、概ね保存的治療に適しており、右基準を超える場合、発症時は軽い症状であったがその後症状が悪化する場合、一cm以上の正中線偏位や脳幹部周囲脳槽の変形がある場合などを手術適応としているが、発症時から重篤な症状を呈する場合は手術をしても結果はよくないとされている。

本件の場合は、血腫量について手術記録等に記載はなく、明確な認定はできないが、CT所見(検丙一、二)からみれば四〇ml前後と推定され、発症時には頭痛、嘔気、嘔吐がみられただけで意識障害もみられなかったのが尿失禁や無欲症状や右半身不全麻痺等が出現し、次第に悪化してきていること、正中線偏位及び脳幹部周囲脳槽の変形もみられることからすれば、手術適応であったことは明らかである。なお、鑑別診断として腫瘍内出血の可能性があったことから、腫瘍部位の組織診断のためにも開頭手術は必要であった(朝田鑑定七、八頁)。

久保医師も二七日にCT検査を実施し、血腫の存在を確認した段階で九月一日に開頭手術を予定していたものである。

(二) 手術時期

(1) 一般的な手術時期

頭蓋内占拠性病変の存在が確認された場合でも、後述の緊急手術の必要性がある場合を除き、直ちに手術する必要はなく、術前にその原因が判明していないときには、各種の検査によりその解明に努めるとともに、全身状態を含め手術の適期を検討すべきであり、手術の態勢を整えることも必要である(朝田鑑定八頁)。

(2) 緊急手術の必要性

しかし、頭蓋内占拠性病変による脳浮腫の増悪や新たな血腫の形成などが生じる危険は常にあるから、症状の経過を注意深く観察し、①脳ヘルニアを起こした場合、②脳ヘルニア切迫状態となった場合、③意識や神経障害が急激に悪化し、保存的加療での回復が困難と判断された場合には、緊急開頭手術を実施すべきである(ただし、深昏酔に陥った場合は術後回復は期待できず一般に手術適応はなくなる)(朝田鑑定八頁)。

この点について、久保医師は、占拠性病変の除去を行う時期の判断について、症状の進行速度、意識状態の悪化の推移、脳幹の機能障害などを参考に決定するとし、脳幹の機能障害を見る場合、瞳孔不同というのは一つの基準になり、意識障害の程度としては三―三―九度方式で意識レベルが一〇〇(NG4a)になれば手術するのが普通であるとしている(久保⑩一七丁表〜二〇丁裏)が、前記三基準とも概ね一致するものと考えられる。

前記「治療方法の選択と予後に関する報告例」によると、精神学的重症度と予後には明らかな相関関係が認められる。すなわち、右報告(二七四症例)において、術前の精神学的重症度(NG)と予後(ADL)との関係を示している報告を集計(ただし、個別の区分をしていない場合は、NG及びADLともに程度の高い方に計上)すると表(5)のとおりであり、術前の意識レベルが悪化する程、予後が急速に悪化していくことが認められる。

NGとADLとの関係を概観すれば以下のとおりである。

NG1では、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ群が九七%、Ⅳ・Ⅴ・死亡群が三%

NG2では、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ群が九二%、Ⅳ・Ⅴ・死亡群が八%

NG3では、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ群が六六%、Ⅳ・Ⅴ・死亡群が三四%

NG4aでは、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ群が五〇%、Ⅳ・Ⅴ・死亡群が五〇%

NG4bでは、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ群が三七%、Ⅳ・Ⅴ・死亡群が六三%

NG5では、ADLⅠ・Ⅱ・Ⅲ群が一七%、Ⅳ・Ⅴ・死亡群が八三%

(表(5))

NG1

NG2

NG3

NG4a

NG4b

NG5

二三

一三

四一

三五

一四

二一

二九

一五

一一

死亡

(3) 本件における手術適期

原告らは、①二七日のCT検査後、②二八日の頸動脈血管撮影後、③二九日午後四時すぎの第一回痙攣の後、④二九日午後五時のCT検査後のいずれかにおいて開頭手術を実施すべきであったと主張するので、以下順次検討する。

① 二七日のCT検査後

本件の場合、久保医師らは、尚美が若年であり、高血圧所見もなく、症状経過も比較的穏やかであることから、脳腫瘍を疑っており、第二日赤に入院した二七日に実施されたCT所見(検丙一、二)には、左前頭葉に低吸収域があり、その中に円形の辺縁が軽度に増強された皮膜を有する脳実質と等吸収域を示す部位があり、その中に明瞭な高吸収域が認められており、高吸収域は血腫像であり、低吸収域は脳浮腫と考えられるが、等吸収域は腫瘍状とも判断され右CT所見からも、脳腫瘍にともなう腫瘍内出血が第一鑑別診断となり、次いで一部新たな血腫を含む亜急性期皮質下出血が疑われた(朝田鑑定六頁)。

そして、右CT所見によれば、正中線の偏位が認められ、脳室がほとんど描出されていない状況であり、脳幹に相当強い圧迫が及んでいると考えられる状況にあったから(朝田一〇三頁)、脳ヘルニア切迫状態に近く、慎重な経過観察を要するというべきであるが、当日の尚美の一般症状は、右半身不全麻痺があり、無欲性ではあるが、意識は清明であり、動眼神経にも異常は認められておらず、緊急手術をしなければならない状態であるとまではいえない。

したがって、この時点で第二日赤の医師らが、脳浮腫の除去、痙攣の予防を図りつつ、脳血管撮影(腫瘍の血管構築の有無により腫瘍の存在を把握し、出血源を見出すためには必須である)によって占拠性病変の原因調査を行ったうえで、病変部分の除去手術を定期の手術日である九月一日に予定したこと自体には問題はなかったと認めるのが相当であり、この時点で開頭手術をすべきであったとする原告らの主張は採用できない。

② 二八日の頸動脈血管撮影後

二八日に実施された脳血管撮影によって、異常血管も腫瘤陰影も認められず、尚美の疾患が髄膜腫であることは否定されたから、この時点で手術に踏み切ることは可能であるし、第二日赤は第三次救急病院(頭部外傷等の重症患者について二四時間体制で処置を行うことができる救急医療体制をもつ病院)であるから、手術を実施するうえの障害も特に認められないというべきである。そして、二八日の尚美の症状は、頭痛、嘔吐、尿失禁、右半身不全麻痺がみられ、呼びかけに応答してもぼんやりしていたり、応答せず疼痛刺激で開眼するような意識状態(NG1又は2と推定される)にあり、それ以上意識状態が悪化すれば、手術を実施しても予後が不良になる危険が高まるから、この時点で手術を検討する必要はあったといえる。しかし、当日も尚美は、瞳孔は同大で、対光反射もあり、動眼神経に異常は見られておらず、全体としては前日とほとんど変わらない状態であり、脳浮腫に対処する薬剤の投与が続けられており、保存的療法での回復が困難と判断される事態に立ち至ったわけではなく、直ちに緊急手術を実施しなければならないほどの状態の変化は認められないから、この時点で手術を実施するか否かは医師の裁量の範囲に属するものというべきであって、その判断を違法と断定することはできない。

③ 二九日午後四時すぎの第一回痙攣の後

二九日も午後四時ころまでは尚美の症状には著変はみられなかったが、午後四時になって痙攣を起こし、除皮質姿勢をとり、極く短時間で治まったものの、明らかな意識レベルの低下が認められた。診察した太田医師は、点滴輸液路を確保し、抗痙攣剤を静脈注射したが、数分後から呼吸状態が悪化し、瞳孔不同が現れ、除脳姿勢をとるようになり、脳幹圧迫症状が出現した。このような急激な状態の悪化に対し、太田医師は、脳圧降下剤の点滴を開始し、緊急CTの準備を指示し、午後四時四五分に点滴が終了した後、午後五時からCT検査を施行した。その結果、CT所見上は新たな出血等の占拠性効果の増大は認められなかったものの、左側脳室や脳底槽は描出されず、浮腫の増強による頭蓋内圧の亢進が脳幹の髄液を圧排し、脳ヘルニアを惹起する危険な状態にあると判断された。

右のような尚美の状態の急激な変化は、前述の緊急手術の基準である脳ヘルニア切迫状態や神経障害に急激な悪化に該当するから、応急措置を施した後、速やかに手術態勢の準備を指示するとともに、再出血の有無などを検討するためCT撮影を実施し、その結果を踏まえて緊急手術を施行するべきであったといわなければならない(朝田鑑定八頁)。

そして、午後四時すぎに手術態勢の準備を指示しておけば、第二日赤の体制からすれば、遅くとも午後八時には緊急の開頭手術を開始して、尚美の血腫を除去できたと考えられる(久保⑪二一丁表〜裏)。

被告日赤は、脳圧降下剤等の投与によって午後四時二〇分には瞳孔不同は消失し、意識レベルも徐々に回復しており、なお保存的治療による回復の可能性が認められ、その後も午後一一時二〇分ころに四回目の痙攣を起こすまで意識レベルも改善していたから、右時点で緊急手術を施行する必要はないと主張するところ、確かに午後四時二〇分には瞳孔不同は消失しているが、その時点でも除脳姿勢は続いており、意識状態もわずかに改善してきたというものの、刺激を加重するとわずかに開眼する程度であり、保存的療法で確実に回復する見込があったとはいえないし、既に手術のために必要な脳血管撮影も前日に完了しており、前日でも手術が可能な状態にあったことに加えて、保存的療法が効を奏さず、さらに意識レベルが低下する事態を招けば、手術を施行しても予後の保障ができなくなる危険が迫っていたのであるから、この時点でなお手術を遷延させる理由はないというべきである。

四回目の痙攣までの改善をいう点は、事後的評価であり、それを根拠とするのは適切でない。

(三) 被告日赤の責任

以上に判断してきたところによれば、被告日赤の担当医師らは、遅くとも二九日午後八時までには、尚美に対し、血腫除去手術を施行すべき義務があったのにこれを怠り、翌三〇日午前八時三〇分まで該手術を遷延させた点において、注意義務違反があったと認めるのが相当である。

2  術後管理(減圧術)について

原告らは、手術時期の選択の過誤に加えて、術後の管理においても、適切な減圧術(原告らの主張によれば外減圧術)を施さなかった点に過失があると主張するが、右に判断したように第二日赤が施行したより約半日前に手術を施行すべきであったと判断され、手術結果についてもそれを前提に評価すべきであるところ、後述のように、右の時点で手術をした場合は、実際の手術結果より良好な結果が期待できたと考えられ、かつ、その結果と実際の手術結果を前提として外減圧術を施した場合との相違を的確に判断することは困難であり、また、実際より半日前に手術をした場合にさらに外減圧術を施した結果を想定することも、仮定のうえに仮定を重ねることになり相当ではない。したがって、この点に関する原告らの主張については判断の用がないものと考える。

3  因果関係について

そこで、二九日午後八時に手術に着手したとして、現在の術後結果より良好な結果が得られたか、すなわち、被告日赤の前記注意義務違反と結果との間に因果関係があるか否かを検討する。

証人久保(⑫三四丁裏〜三五丁表)によれば、手術の時期も含めて一〇〇パーセントうまくいった場合の尚美の予後の予測としては、血腫のできた部分には繊維の断裂がみられるのが普通であるので、血腫のあった左前頭葉の障害ということでは、意欲の問題とか、活動性、痙攣発作、尿失禁などの障害が残る可能性は高く、記銘力障害なども残る恐れがあるが、運動機能についてはまず問題がないように回復したと考えられるという。

右の状態は、ADLⅠ又はⅡのレベルと考えられるところ、久保医師のいう最適の手術時期がいつを指すのかは明らかでないが、結果論からいえば、尚美の場合は、腫瘍はなく、単純な皮質下出血であったから、可能な限り早期(二七日のCT検査直後又は二八日の脳血管撮影直後)に手術が実施されておれば、右の程度の回復が可能であったと考えられるが、本件において、医師としての注意義務違反が問われるのは、二九日午後八時に手術に着手すべきであった点に限られるから、その結果もこの時点を基準として考えざるをえない。

しかるところ、右の時点における尚美の精神学的重症度を的確に判定することは極めて困難であるが、二九日午後四時の痙攣時には、瞳孔が不同となり、対光反射も消失し、除皮質姿勢をとっているから、NG4aと評価され、その数分後には除脳姿勢をとるに至っており、この時点ではNG4bとみられる。しかし、この時点では、脳圧降下剤等の投与により、二〇分程度で瞳孔不同は消失し、対光反射も回復し、午後七時には生年月日も正しく答えられるようになり、意識状態もやや改善しているから、右の手術を開始すべき時点では、NG3ないし4a程度であったと推定するのが相当である。

そして、術前の精神学的重症度がNG3ないし4a程度の場合、前記表(5)に示したように、ねたきり(ADLⅣ)や植物状態(同Ⅴ)になったり、死亡する例も相当数あるが、ADLⅡが二三%、ADLⅢが三四%であり、ADLⅠからⅢまででは六〇%に及んでおり、実際の結果(術前のNGは4bであり、予後はADLⅣないしⅤとみられる)よりは良好な結果が期待され、現実の結果ほどの重篤な後遺症を残すことはなかったものと認めるのが相当である。

したがって、被告日赤は、右の限度で、尚美に生じた損害を賠償する義務がある。

4  原告らの損害の評価

そこで、尚美に生じた損害を評価しなければならないが、先に判断した時期に手術が開始されていたとした場合に、尚美の術後の状態がどのようであったかを正確に判断することは不可能であり、平均的にいえばADLⅢ(日常生活は可能だが、他人の助けを必要とし、社会復帰は困難)程度に回復する可能性があるというに止まる。右の程度の予後を前提とすれば、労働能力の喪失による損害を認めることはできず、建物改造費等一部の財産的損害もあるとしても、不確定要素が多く、確実な判定はできないというべきであり、本件の損害の評価は、財産的損害も考慮した慰謝料として評価するのが相当である。

そして、右に認定してきた被告日赤の注意義務違反の程度、期待される予後と現実の予後との差を基本としつつ、軽度の症状しかなかった段階で被告日赤に転院していながら、二二歳という若さで植物状態に近い高度の障害を残す事態となり、八年余の闘病の末、生涯を閉じるに至った尚美の無念さは想像に余りあるものというべきであり、そのような事情も総合的に考慮し、その慰謝料額は二〇〇〇万円と判断する。なお、原告らは、尚美の相続人(父母)として、右損害賠償請求権を二分の一ずつ相続したものである。

五  結論

以上に判断してきたところによれば、原告らの本件請求は、被告日赤に対し、損害賠償としてそれぞれ一〇〇〇万円とこれに対する不法行為後である昭和五六年八月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが、同被告に対するその余の請求並びに被告濱中及び被告回生会に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井垣敏生 裁判官松本利幸 裁判官本田敦子は、転補のため署名押印できない。裁判長裁判官井垣敏生)

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